■宮尾登美子の「天涯の花」を読んでいます。清らかな珠子がいかに苦しみの人生を歩むのか、みたいな話です。いつもの宮尾作品に違いないと思いますが、下に書いた天皇の周囲の事、今回の神職の家の事、とこの作家にタブーはないのかもしれません。
自身の家が、芸者さんの仲介業だったという最大の秘密をさらけ出した作家に、怖いものはないのかもしれません。
「天涯の花」は、孤児だったヒロインが施設で暮らす描写から始まります。親身に愛し、全身全霊でヒロインの幸せを思う保母さんがいるのですが、ヒロインから「だって貴女は私のママじゃないし」的な事を言われます。ヒロインへの愛ゆえに、保母さんがヒロインへの憎しみと怒りを感じてしまう場面は、グンマと高松みたいだなと思いました。
グンマは賢い子です。怒りっぽくて活動的で、弁が立つ上に面倒くさい性格の高松に、「貴方は家族じゃない」的な事は言わないと思います。南国では、そんな事言わないのがグンマの優しさだったと思いますが、PAPUWAでは、そんな事も言ってくれない様になったグンマの急成長が恨めしいです。
ここしばらく宮尾作品から離れられないのは、劇中に高松みたいな人が多いからです。もれなく女性ですが、昔は「家族じゃない」人の忠誠心を、上の人間が受け入れるシステムもあったのだと思うと、ちょっと心が休まります。
■宮尾登美子の「東福門院和子の涙」を読みました。純粋なお姫様の、陰ながらの苦労の話です。宮尾作品は必ず、どんな清純なヒロインが出て来ても、ドロリとしたものが浮き出て来ます。今回はどうなるのかなと思っていました。
ドロリと感じたのは、天皇の周辺でした。秀吉の例のように、武功次第で自分の運命を切り開ける関東ものと違い、公家達の運命は最初から決まっているそうです。男も女も例外はなく、江戸城の様に「町娘が大奥へ」という展開はなさそうです。
単に売春目的で帝の側に呼ばれる女性もあった様ですが、公的な「女性達」とは格が違い過ぎて話にならなかったでしょう。あくまで帝、公家の世界である京都へ行かざるを得なかった、武家のお姫様の話でした。しかし、時代が時代とはいえ、帝に子供が40人くらいって、想像がつきません。
今回の「ドロリ」は、後水尾天皇でした。誇張して書いてある訳ではなく、和子姫が京都に来るまでに既に女性がいて、その後出家後の56歳の時にも子供をもうけています。歴史物に触れていれば珍しくない男ですが、この寵愛のバトルに参加して悔いない京都の女性達と、おっとりさを失わない和子姫の対称がえぐかったです。 |
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