madeingermany

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...... 2018年05月18日 の日記 ......
■ 承認欲求古今   [ NO. 2018051801-1 ]

■以下、陽気のせいかみじめな内容なので、先に自分が面白い事を書きます。和田先生の「傀儡師リン」を読んでいます。未完になってしまった本ですが、とても楽しい漫画です。スケバン刑事の頃の流血の嵐の陰は見えません。社会派的な荒っぽさも大分後退しています。

少女と人形のタッグが最高に可愛いです。人形は友達である、女の子なら分かるはずとトモは言いますが、その通りだと思います。女の子にとってオモチャは武器でも見世物でもなく、第一に友達でしょう。

一回、スケバン刑事を最初から最後まで読もうと思っていますがまだ手が出ません。名場面的なものをネットでチラ見すると焦れます。結構ショックな展開も多いらしいのでまだ考えています。



■嫌われる勇気という本を前読んだのですが。あれはお互いを対等と思っている場合、主に成立する現象かもしれません。貴方と私は違う人、違う事を選び、違う道を行くかもしれないけれど、敬愛の思いは永遠です、そんな本だったと思います。

不平等な親子関係、特に成人前は無効な本だなと思います。親にホステスの様に気を遣って、彼の気に入る女に成人前なのになろうとして、やっと大学に行かせてもらった自分には、成人して随分になる今が読み頃だったと思います。

子供に親の思う人生観のみぶつけて、子供が頑張れは「親のお蔭」、子供がみじめな目に遭えば「貴様のせい」と断言する人から、学費と生活費を絞り出した自分を褒めてあげたいです。彼の機嫌を一回でも損ねれば、自分は一巻の終わりでした。



■何かの記事で、SNSが人々の承認欲求を倍加している、危険だというのを読みました。うんうんと読みましたが、二三思いました。ミスマープルではないですが、いつでもどこでも、「人」は似た様な事をするという説がありました。


・ラインやツイッターが登場する前でも、少女達のネットワークがあった。日本全国と言う広範囲ではないが、直接会える範囲くらいなら、少女同士のネットワークは昔からあったと思う。ツールとしてSNSが出て来ただけで、基本的に人のやる事は黒電話時代と変わらないと思う。

SNSの方が伝達の速さ、量がアナログと桁違いなのは分かるが、お手紙と黒電話だけでも、恐ろしいまでの少女同士の牙城の築き合いがあった。自分はその流れに乗れず、周囲の少女達の「生活」に憧れるだけだったので、逆に「今」も同じようなもんなんだろうなとしか思わない。



SNSなんかなかった頃から、少女達はお互いの体型、性格、所持品、成績、スポーツの腕前、友達の多さ、彼氏の有無、クラスで浮いているかどうか、学校の先生と上手く行っているか、進学先は、住所は、と細かい所でお互いをランク付けしていた。自分は永年最下位だったので、はるか上の少女達のしている事を呆然と見ているだけだった。

SNSの存在云々より、竹淵がいつの時代もマヌケだという証拠みたいな分になった。時代からも人からも、いつも置いてけぼりなので、SNSだろうが黒電話だろうが、授業中に先生の目を盗んで少女同士で回す「お手紙」からも私は自由である。指をくわえて、黙って皆を見ていればいい。

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