■鴎外のヰタ・セクスアリスについて考えていました。主人公が「子供に読ませる」意図で書いたものだそうですが、一番重要なのは父親が童貞を捨てるまでの話ではなく、自分で自分の体をコントロールできるようになる?過程なんじゃないかなと思いました。前半部分の「子供と性」みたいな部分は、あくまで序章なのでは。
つまり。この主人公は、カットされた後半のヰタ・セクスアリスの中で、人にも子供にも語れない様な事を繰り返すんだろうなと思いました。いくら文豪でもそこまで公開したくないだろうと思いつつ、かえって昔の作家の方が、四六時中の様子が後世に残されていて、カットした意味がなかったかもしれません。
■JR九州のななつ星について考えていました。お洒落な振る舞い、お洒落な衣装でないと参加しても楽しくないだろう、とちょっと思いました。鉄道も旅行も自分は大好きですが、ドレスコードや同行者への配慮を真剣に考えた事は少ないと思います。
寒くない暑くない、汚れても仕方ない服で、特急の自由席に乗る事の多い旅をしています。旅館やホテルも利用させてもらう事が多いですが、ドレスコードは浴衣でした。金銭面と日程は何とかクリアするとしても、自分が同人誌で書く様な、青の一族的な富裕層と直面する勇気がありません。
■年の功かなと思う事がありました。若い頃は、ファンタジーを読むと「本物と違う!」とか怒り出していました。自分が納得できるものしか愛好しない、と頑なに自分の城を築こうとしていました。
何が自分の価値観の選抜に残るかは自分でもよく分からないので、日々不安で、冒険的に暮らしていました(単なるビビリ)。その意味では日文や、歴史の史実を主に扱った創作物等に目が向き、楽しい日々でもありました。自分の今の嗜好のほとんどは、その辺から来ています。漱石や三国志なんて、数十年来の付き合いです。
また若い頃は、頑張れば自分もファンタジーの中の人みたいになれるのではないかと夢を見ていました。ナチュラルな線で美しい荒木伸吾先生の絵にウットリし、沙織さんのうつむいた顔の綺麗さに憧れました。自分がうつむいた所で、ただの根暗に他ならない事に、随分長い事気が付きませんでした。
オスカルがサッとブラウスを着こなすのは美しくとも、普通の人ないし普通の基準に及ばない容姿の人は、ある程度考えて服を着ないと、だらしがないのだと気が付くのに十年以上かかりました。顔も、昔は冷たい水で洗い、自分の中では清水に足をひたす沙織さんの様なイメージでしたが、よく考えると相応のスキンケアをしないと、肌は痛むばかりです。
あれこれ見当違いな努力、生活を送った結果。普通にしているのが一番いいと言う事が分かりました。普通に働いて、普通にお給料をもらって、普通に必要なものが買える暮らしがいいのだと。
ほんの少し、メラッとするようなものが欲しい時にこそ、ファンタジーは求めていいのだと思います。男性が「女性」に抱くファンタジーは全く分かりませんが、ほんのちょっとだけ、自分がお姫様になった様な錯覚で乙女系CDを聞くのもよし、自分が超能力者になったつもりで、横浜なんていう都会でバトルする夢を描いたりしていもいいんだと思います。
(実際の横浜や神戸は、華やか過ぎてグンマの田舎人にはかなりツライ) |
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