■人間が最も狂暴な時。小中学生くらいの時の思い出を、楽しそうに語る人がいますが、自分には分かりません。不思議と地元の進学校に進んだ後は、周囲に狂暴な人がいなくなったので、やはりあの孤独と恐怖の日々は、(自分のせいもあるだろうけど)、周囲の獣性もあったのだろうと思います。
高貴な獣というより、単なる、個性と個性の弱肉強食の世界でした。一人で本を読んでいれば、根暗と攻撃され、好きなものを好きだと言えば、オタクと蔑まれ(今にして思うと、二次元萌えは隠しておくべきだった。皆ポップスの話題なら話すのに、小室ファミリーの最盛期だった)。
高校に入って校内の図書館に通う様になって。司書の先生からごく自然に好意的に「竹淵さんは本が好きで、文章を書くのが好きなんて素敵ね」と言ってもらえた喜びは忘れないでしょう。
自分は小中と、日記的なものを書いていました。クラスメイトは私の机の中からノートを引っ張り出し、回し読みして笑っていました。今にして思うと、他人が書いた文章を読んだのだから、購読代として金銭を要求しておくべきでした。(あの頃から、「人の笑顔」を信じなくなった気がする。笑顔の意味合いは色々あると思うけど、笑う人が苦手。)
■何かの本で。女性の作家さんが、「駅構内等のジューススタンドは、一人で寄るのが恥ずかしくて、買って店の前で飲むなんて出来ない」とか書いていました。
普通の会話の中で、「恥ずかしくて寄れない」というのならまだ分かりますが。自分の主義主張を堂々と活字にし、辺鄙なグンマまでその本が届いているのに、今更「ハズカシクテ」とは、何を言うのだと思いました。
駅構内のジューススタンドなら、鉄道会社が経営している店だろうと思うので、駅的にはホーム等で飲んでも散らかさなければOKでしょう。他、混雑時に通行人にジュースをひっかけてしまう等なければ、何ら問題のある行動ではありません。
まさか、昔の会津の子供のように、「屋外で飲食してはならない」と教えられた訳ではないでしょう。確かに、人前での飲食はなるべくならしない方が上品ですが、駅構内と言うのはパブリックな場所でありながら、ルールさえ守れば空腹や渇きを満たすに適当な場所です。
自分はぼっちで、友達は主に鉄道です。グンマから上京するのが本当に辛かった時、上野駅で乗った上越新幹線に心の中でずっと話しかけていました。「私は貴方に会いに来たんだね」と。駅は「友達」に会える場所であり、駅構内さえいれば、気分だけはぼっちではないと自分は思えます。
上述の作家さんの事はよく分かりませんが。1人はイヤ〜、ミンナとでないと〜、など言えるのなら幸福な人なんだろうなと思います。ぼっちでジューススタンドはそんなにみじめですかと思いました。いろはすなら100円未満で渇きが癒せる所、300円近い生ジュースは自分には贅沢品です。余程、ビッグサイトでラッキーな思いをしない限り飲みません。 |
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