 ■くどいですが氷菓のえるについて。折木、里志、摩耶花たちはそれぞれの「欠点」に苦しみ、追い打ちをかける様に、周囲も彼等の短所をついてきます。
えるだけ、そんな包囲網から逃れているのは何故なのでしょう。えるが完璧な女だからとかいう答えは聞きたくないです。えるが一生懸命だからとかいう回答も、実にナンセンスです。えるがカワイイからだとかなら、まだ理由がしようもないからいいです。
多分えるに誰かが彼女の欠点を指摘したら。非常にとんでもない反応をえるは示すでしょう。「何故なんでしょうか」「どうしてでしょうか」と指摘した人に食ってかかるのは序の口で。ウッカリしたらえるが体調を崩して学校を休むとかになって、豪農千反田家からすごい反撃が来そうです。
またえる自身が、自分の「短所」にアニメになっている部分で気が付いていない事も挙げられそうです。他人の異性である折木にベタベタしてみたり、何となしに幼いイメージを添加されているだけあって、摩耶花程派手な葛藤とか(あるかもしれないが)なさそうです。
(正確には、えるは自分の不得手なジャンルを理解している。その上でどう振る舞えばいいのか彼女なりの模索の途中であって、葛藤がない訳じゃない。そんな彼女がしれっとしている様に見えてムッとするのは、竹淵の心の狭さ 自分の短所に気が付きながら文字通り「取り組む」だけで、自己嫌悪しない人種があるのか)
氷菓は本来キャラのビターな面も余さず描いていますが、えるたった一人がそういう包囲網から逃れていて(以下略)。
ブラックジャックやキリコ、高松を見ていて落ち着くのは、彼等が劇中で過度なほど「欠点」を周囲から爆撃されているからでしょう。「私はこの人のいい所を知っているのよ」という妙な満足感さえ彼等から覚えます。結婚式の披露宴のスピーチか、お見合いの仲人口くらいです、対象を満面の笑みで絶賛していいのは。
■よくでもないですが、「いじめられても学校に行く」のは「学校が好きだから。いじめられても、オトモダチに会いたいから」と好意的に解釈される場合もあろうかと思いますが、「この日本で学校に行かないと言う選択は死を意味するに近いから」と、子供でも分かるからとどうして人は思わないのでしょう。
どうしてその人と一緒にいるの どうしてその職場にいるの どうしてその町に住んでいるの どうしてグンマに住んでいるの
他、いろんな「どうして」と「それでも」があると思いますが、別に対象を好きでも何でも無くても、むしろ呪っていても、選べないものがあります。それを弱い心がしなやかに受け流そうとして、「愛着」という心理に至るのだろうと思います。万人が女優です。
「代さん、あなた役者になれて」と意味深な漱石の言葉を思い出します。(普通の結婚=嘘偽りと、漱石は断言している)
自分を殺しそうな相手と、丸腰で徹底抗戦する人は稀で、ストックホルム状態にそっと自分をリードし、なんとか心に折り合いをつけることも、自然な心の動きだろうと思います。
知らない天使より、知っている悪魔とも言うのかもしれません。どんなに素晴らしい天使が天国が待っていても、そこに自分が順応・永住できなければリゾート的な意味しかありません。
女子供が持てる、自衛の方法がストックホルムであり、親孝行とか地元愛とか何だとかなのかなと思います。ウィキ等でストック〜の概要は分かりますが、解放されたあとの地獄もありそうです。(書かれない明暗の内容な多分こんな感じ。幸せな暮らしという舞台を降りざるを得なかった延の話) |
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