 ■男女関係のゴタゴタがメインの小説と言えば、オースティンと漱石ですが。いずれも最大のテーマは「お金」でした。オースティンのヒロイン達は、お金持ちの男と結婚する事で幕を下ろします。登場人物達は大体「年金何ポンド」「持参金何ポンド」と詳しく書いてあります。漱石のそれからもこころも明暗も、つまる所「お金」です。
宮本百合子の伸子の場合、書いている人がお金持ちなせいか、お金は左程話題にならない様です。内容は実に明暗なのですが。話題にならないのはあくまでヒロイン側の価値観で、佃の方は内面が財産、地位他の要素からか複雑骨折しています。
カネと言えば織田作、夫婦善哉他の作品では「何円かかった」「何円稼いだ」など細かく書いてあります。それが織田作のリアリティだったと言います。林芙美子もそんな感じかなと思います。
宮本百合子と言い、野上弥生子と言い。カネにも男にも不自由しなかったみたいな人達のつかみどころがまだ分かりません。同じお金持ちでも、太宰みたいな芝居っ気もなさそうです。これが上級何とかなのですか。
■入稿間近です。冷静になろうと思います。どうやって冷静になるんさと思ったのですが、自分の原稿とにらめっこしている時が一番真顔かもしれません。
「高松ってさ〜」と興奮気味にならないことはないですが、冷静に自分の延長線のように改めて見て見ると、真顔にならざるを得ません。
ところで。仮に高松が素のままでルーザー様の側にいたら。ルーザー様は高松を好きでもない限り、側におけないんじゃないだろうかと思います。高松は「お役にたちたい」「可能なら好意を得たい」と虎視眈々といるのでしょう。好きじゃない相手からそんなのされたら、実に面倒な事でしょう。
高松を道具と思えば、としても。あんなに人を選ぶ「道具」はないと思います。マジックに対しても、別に臆していないと言うか、なんでこう高松はいつも捨て鉢なんだろうと思います。
「どうせルーザー様と恋人同士になれるはずないから」「青の一族じゃない自分は、所詮ルーザー様には他人」という諦め故の、高松の特攻体勢なのだろうと思います。そんな悲しい一人相撲の高松を、延々、オースティンの書くヒーローのようにルーザー様が見守っていたら、いいなと思います。
■仕事で令和を使い出して、二日目になります。RRRと並んでいるのを見続けるのですが、そういうものだと思っています。
元号と言うと。運用も漢字も綺麗すぎるのが清の様に思います。一世一元を明から引き継ぎ、華麗に中国の文化を取り込んだ国です。あくまで三国志オタクのオタク語りなので、令和フィーバーとは関係ありません。
日文も大好きですが、自分の心のふるさとは、三つの元号と三人の皇帝がいたあの頃なのかもしれません。色々あって三国志他中国史とは疎遠になっていましたが、ゆっくり東洋史の本を読みたくなりました。 |
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