madeingermany

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...... 2019年05月30日 の日記 ......
■ 疲れてる   [ NO. 2019053001-1 ]

■野上弥生子の秀吉と利休を読んでいます。初めてこの小説読んだのは、確か小学生の時だったと思います。山岡宗八の歴史物を読み、秀吉と言う名前に惹かれて、この小説を読んだと思います。文章のあちこちから「読んだ事がある」という匂いを覚えます。

利休の勝利の様な流れの小説なんだろうなと思います。文壇にも政治にも関わらなかったという弥生子が、俗物の代表の様な秀吉にくみするとは思えません。

私は秀吉派なんだろうなと思います。弥生子や利休の持つセンスって、本人のたしなみもあろうかと思いますが、やはり恵まれているの一言に尽きる気がします。恵まれていたとはお世辞にも言えない秀吉の様に、自分は味方してしまいます。



この小説を読んでいると利休が男前すぎて、弥生子の夢小説の様に思えて来ました。あの毒舌で価値観を頑として譲らないし、自分の内面を吐露する事を臆さない弥生子がここまで誰かを褒めるのは異常に思えます。

秀吉と利休の対立、政治と芸術、弥生子のスゴイ文章など見どころの多い小説なのですが、弥生子の自分では隠しているつもりなのかもしれない、「オンナ」の部分が見える気がします。

(男の書く文章だと、「ダメな俺を愛してね」みたいなオーラが出ている事があるが、弥生子の場合それがほとんどない。流石、一応結婚していた豊一郎を発病するまでこき使い、彼が病気しても別居を貫きかけた女性だと思う。

欧米の旅でも、読んでいて気持ちが悪いくらい同行の彼を書きこまなかった。世に言う不義理とか屁でもなかった女性なのは何となく分かる)



■疲れるってこういう事かと思うくらい、疲れています。大昔は、体育祭の日でも家に帰れば数時間机に向かって勉強くらい出来ましたが、今は気が緩んだのか、時々しかそんなことしなくなりました。

同級生はほとんどお母さんになり。母親業、妻業他に多忙です。自分が音を上げるのは恥ずかしい事だと思うので、あまり疲れた疲れた人に言わないのが正義だろうと思います。

こんななら、お友達と同じような暮らしをしていたはずの頃、もっとおしゃべりしておけば、ともたまに思います。しかし当時から大変な人は大変だったわけで、やっぱり自分が環境等に甘えているだけなんだろうと思うと、自分の疲れを恥じます。



恥の多い人生を送っています。夏に青森に行く予定なので、遠いですが斜陽館に行って来ようと思います。日文と言うと、日本中のお金持ちの子弟が集まった様なジャンルに思えます。

「お金と文豪」って一回煮詰めたいテーマです。若かったら、卒論のテーマにしたかもしれません。漱石は金に困った時期が余程辛かったのか、その辺のお役人より莫大な収入があったのに、やけにいつも困っていました。(あんだけ家族が多ければ)

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