■ジブリのゲド戦記を見ました。以下、妄想と雑感です。的外ればかりかもしれません。
ナチュラルと言う事くらい、難しい事はない様に思います。ナチュラルメイクは、普通のメイクよりはるかに難しいとか聞きます。「ナチュラルな文章」なんてのは最早才能の問題かもと考えるだけで痩せる思いです
「頑張っていない様に見えて、実は死ぬほど頑張っていて、それでもリラックスしている様にはたからは見える 暑苦しさや押しつけがましさは皆無に近い 一回聞けば長めのセリフもスッと入ってくる」という、声優さん達の演技のための言葉の様に思えます。
・テルーの歌も、クモの怖い所も、アレンの苦しみも、「あの声優さんなら」と思ってしまった。もともと長い小説だったらしいものを、無理に2時間以下にしているのだから、無理もあるだろうと思う中、キャラに乗り込めないのは辛い。
アレンとか、ああいう焦りや焦燥の演技がうまい声優さん、沢山いるよなあと失礼な事を思う。ジブリは何故か本職の声優さんにノーを突きつけているが、最近の声優さんもナチュラル指向だし、歌も演技もすごく上手いと思うんだが。歌えて、お芝居も出来る声優さんはたくさんおられる
声優さんのわざとらしい所?がノーだとジブリが言うのなら。収録の時に、「ナチュラルな感じでお願いします」と言えばいいだけの様な気がする。いわゆるアニメっぽさがイヤだというのなら、一体ジブリは何を作っているのかと思う、アニメじゃないの?と。
・声優ブームとかなかった頃。「あくまで自分は舞台の人間です、俳優です」と言う感じで、声優さんというお仕事がアルバイト的なポジションだった事は知っている。
しかしジブリがジブリとして愛された頃には、堂々本職の声優さんも増えていただろうし、何より、トトロ、魔女宅、ラピュタ、ナウシカ等、声優さんの名演技が語り草になっている事実があるのでは アニメのナウシカには須美さんが必須
そんなに声優じゃない方達を使いたいのなら、何故アニメという表現を選んだんだと思う。ゲド戦記、マーニー、メアリ、アリエッティ、耳をすませば等、既に小説や漫画で完結した世界がある上にアニメを作ると言う事は、どういう事なのか。
別に高尚な事じゃなくて。「動くアリエッティが見たい」という、それだけの欲望でいいと思う。まさか、「有名作に乗っかって、楽にアニメを作ってひと儲けしたい」だの、「人気芸能人に声をあててもらって、観客の動員を図る」など考えちゃいないでしょう。
こちらも面白いアニメが見られればそれでいいのであって、それには、「このキャラ共感できる」「この子素敵だなあ」と思わせてくれればいい。ジブリが絵本屋さんや、実写映画をつくる場所でないのなら、アニメに特化した「役者さん」を無視する意味が分からない |
|