madeingermany

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...... 2019年06月22日 の日記 ......
■ 温泉に行って来ました   [ NO. 2019062202-1 ]

■野上弥生子の真知子を読みました。タイトルからして、弥生子節です。「真実を知る」って他の作家がヒロインに真知子とつけても、こんなある意味いやらしい感じにはならないと思います。

別に学校などの課題で読んだわけではありません。読書を中断しても誰にも怒られないのですが、読まねばならない何かを覚えていました。以下雑感です。


・宮本百合子の伸子と、オースティンの高慢と偏見を読んで書いたと言う。それなら「元ネタの伸子と、高慢と偏見を読んでいれば真知子は読まなくてもいいよね」という、突っ込みを恐れないのが弥生子だと思う。

・真知子は、豊一郎と言う献身的な夫を若い頃に得た弥生子の、お慰みの様な作品に思う。伸子や高慢と偏見の様な、強いパッションがない。本当にない。なんでこうも、文章の全てが憎らしげなんだろう 

文章にスキ!!アイシテル!!とかいう熱病的なものがない(それが弥生子なんだが だから豊一郎が可哀想でならない 別に私と豊一郎が知り合いなわけじゃないが、彼は漱石の門下生だし ただし好みの男には猛烈に女ぶる人だったらしい)



あまり好きじゃない学校の先生から、長い訓示を聞かされている様な感じだけ受ける ああこの人、別に話を説いている相手には皆目興味ないんだなとよく分かる 内容の巧拙以前の印象 そりゃ文章は弥生子なのですごい

ただし読んでも読んでも、なんでこの人この作品を書いたんだろと言う永遠の疑問が残る 漱石や鴎外の様なこれを書かないと俺は死ぬ的な感じがない ない方が穏やかで普通なのかな



真知子はぶっちゃけ、「ヒロインの熱をあげかけた男が、実は薄情な男である事が分かり、彼女は別の男に気を移す」だけのお話。「アンタえらそうな事ばっかり言って!!」とヒロインは最初の恋人に怒るが、ヒロインこそ偉そうな事を散々考え散らしておいて、結局は自分の満足しか考えていない冷たい女性に見えた 

劇中で延々語られていた、社会主義〜社会学〜とかいうのは全部お飾りだったなと思う 別にいいのだけど、恋愛ものとしてはヒロインに愛敬がないばかりか、排他的で理屈っぽい皮肉屋なのがどうかと思う(オースティンのエリザベスの様な素朴な家族愛等は、真知子にはない 自分は高慢と偏見の世界が好きなのでちょっと腹が立った) 




■母のお供と言う理由で、近所の温泉に一泊して来ました。夏コミの原稿中では?という話ですが、大体一年中充電中、ネーム中、原稿中、イベント前の緊張中、イベント後の脱力中のサイクルである事に気が付いたので、温泉に癒しを求めました。温泉は癒しをくれました。

温泉と言えば康成ですが。幼女が素っ裸で川沿いの浴場にいる描写以外で、温泉が生かされている感じがしません。それもそうで、駒子は芸者、踊り子達もカタギではない扱いなので、今の様な温泉をイメージするとよく分からなくなります。劇中、誰もお湯に興味ない気さえします。作品に大事なのは「温泉場」であって、温泉じゃなかったのでしょう。



(あの頃は温泉と言えば、基本混浴の共同湯だったろうと思う。今の様に、巨大ホテルだの、温泉偽造問題だの、かけ流しか循環かなんていう話題もなかったと思う。温泉好きには天国のような時代だが、到底女が気楽に行ける場所じゃなかったのかもしれない

修善寺や三朝、下呂には、昔ながらという川沿いの温泉があるが。浴衣を着ていても、入れる気がしない ※三朝、下呂は女性の露天混浴も可だったと思いますが、余りにオープンなので驚かされます)

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