■下の内容とかぶるのですが。グランロデオのセツナの愛は、グンマ様からみた高グンソングだと勝手に思いました。どこからも承認されていない思い込みなので、許してください。
・高松青年は幼児グンマと、数年一緒にいるだけだと思っていたと思う。嬰児交換なんて続けられるはずないし、そもそも一団員の高松が50歳近くまで生き延びているはずがなかった。(マジックの意図的な庇護だったかなと思う)
・自分とグンマは「なんか知らないけどやたら可愛がってくれたおっちゃん」程度の関係で、そっと終わりになると、高松は思っていたと思う。まさかミドルまで自分とグンマの関係が続くとは、若い高松は夢にも思っていなかったと思う。
(難しいのは、高松は状況と自分の失恋に流されてグンマを巻きこんだのを「やむを得なかった」とか思っているのに対し、赤ちゃんだったグンマは更に選択肢がなかった事 高松は「この子はどっちみち権力者の子供だし」という鬱屈が最初からグンマにあったと思うが、グンマこそ選びようのない半生だったのでは)
・ハア?と思うのはグンマだと思う。親は親になる事を選べるけど、子供は誰が自分の世話をするのかなんて選べない。子は親を選べないから、どんな極悪人が親でも、一応は彼を信じ、「優しくて僕を守ってくれる人」と思わざるを得ない 他に生きようがない(別に親子愛とかではないと思う 魚が水から出されるような恐怖だけしかない)
グンマは高松に夢を抱いていたかもしれない。素直な子供なら一度は、自分の保護者に憧れを持つと思う。色々あってそんな根拠のない憧れは破壊され、子供は大人になるのだろうけど、グンマには永劫高松しかなかった。
セツナの愛は、グンマ様が夢見ていた嘘っぱちの高松像と、今のグンマ様の歌の様に思えた。
これキンちゃんの歌になりにくいのは、キンちゃんが未だに子供っぽくて、高松との信頼関係が意外と根強く、高松もキンちゃんとだけは真摯に付き合おうとするからキン高の主題歌にはなりにくい 初期の暴走気味のグランロデオの歌の方がキンちゃんに合いそう
■グランロデオのセツナの愛を聞いていました。アニメの文スト三期のテーマソングです。アニメの方は後でまとめてみようと思います。多分12話くらいだから、一気に見るのが幸福そうです。
さてセツナの愛ですが。歌詞はきーやんです。曲は飯塚さんです。カップリングのフォルテの方は、今までのグランロデオとは違う感じで、また新しい素敵な曲でした。
きーやんのいい意味でのだらしない歌詞と、キリキリするようなニュアンス、そして歌の世界観を構築する曲が〜なんて、分かった様な事を言うと失敗しそうなのであまり言いません。
なんとなしにきーやんというかグランロデオに、一種の余裕と言うかゆとりを感じるようになった気がします。初期の本当の荒馬の様な感じも大好きですが、ライブ等のキッチリ二時間前後で、お客を楽しませるプロ的な感じがいいなあと思います。ライブには何回か行きましたが、練られているなあと毎回思います。
きーやんの、飯塚さんはもとより、曲に関するスタッフさんや、お客さんを大事にしている感じがすごく好きです。 |
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