■私は温泉大好きですが。そう言えば以前弟が同世代の男達と北陸の温泉地に行くと聞き、へえ風雅なと思ったものですが、どうも全く目的の違う旅だった様です。
私も昔、「温泉旅館で、大学休みの時にバイト」と勇んで志願しようとしたら、家族から猛反対された事があります。言い争うのも面倒なので、近所のスーパーのレジ打ちに奉公しましたが、猛反対の理由は前述の通りだったのかなと思いました。考えすぎじゃないかと思いますが。
更に面倒くさいのは。ちょっとした温泉について調べていると、古めのエッセイ等では大体そんなネタが普通にあることです。読むとオエッとなるのですが、我が群馬県も例に漏れない様です、今でこそ泉質・アクセスの良さ・自然等で売り出していますが。
とりあえず、康成の雪国の暴露本でも読んだような倦怠感半分で、次の温泉地に行こうと思います。もしバブルの様な好景気がまだ続いたら、自分の温泉行脚もムリだったろうと思います。不景気万歳。温泉は寂しいくらいが好きです。(残念ながらどんな山奥のホテルにも、ウルサイだけの男性客はある)
■アニメのウィードを見ています。「顔も知らないお父さんに会うために、旅立つみなしご」って、久しぶりに見た気がします。昔は、今よりみなしごと言うのが身近だったのかもしれません。
今は、毒親という言葉が出現した様に、親が全面的に素晴らしいものであるという認識も薄らいでいるのかなと思います。アニメやマンガって、大体奇想天外なアクション等をコドモがしますが、そんな危険な事を我が子にさせる親は少ないと思うので、「みなしご」という設定が合っていたのかもしれません。
今は、日常系のアニメも増え、穏やかな時代になったのかもしれません。
父親と言う暴君が近くにいたのでは、生き抜くだけで全エネルギーを若い時に使い果たし、再度充填するのにかなりの手間を要します。法玄と戦うより、実父と戦う方が地味な上に、辛いかもしれません。しかも無意味です。
銀牙と言えば正義というキーワードが時々出ますが。家族と正義と言う言葉ほど、合わないものもないと思います。戦時中の日本の家の様です。
「お国のために、せっせとセックスして、子供を生みましょう 生まれた子供は兵隊にして海外に送りましょう」と真顔でスローガンされていたと聞きます。
奥羽軍は、リキの頃は独身貴族の集団であるとされていました。クロスの懐妊、出産以降、そうでもなくなってします。
しかし銀が父親になったのは、イヌなのに15歳と言う超高齢の時です。銀牙本編からの時間の流れだと言えばそうですが、銀は、「正義」と「家族」の食い合わせの悪さを感じ取っていたのかなと思います。
正義のためになら死ねるけど、守るべき家族がいるのなら死ぬわけにはいかないと言う、矛盾が生じます。赤目さんくらい老練になると、「奥羽軍の安定のためには、銀の後継ぎの育成が必要」という発想も出て来ようと思いますが、銀自身が望まなかったのでは。
(銀がモデルにしたいだろうリキの統治は、たったの半年から一年くらいの事だった。クマを倒す事が唯一の目的であり、如月・白狼達のファミリーグループとは全く性格の違う集団だった) |
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