■グルメ紀行的な本を読んでいます。罪と罰が手元になかった時、ふと読んだらまだ読んでいます。今、ラスコーリニコフが一回目の窮地なのに、片手で「下北のアンコウが美味しい」とかの本を読んでいます。
グルメというか、美味しいお菓子と言えばグンマ様ですが。原稿で自分の描いたお菓子他食物が、全く美味しそうに見えない事に気が付いて、メソメソしています。描いている時は夢中だし、描き終わっても、何らかのバイアスがかかって見えているんだろうと思います。
読んでいるグルメ紀行の本の挿絵が、谷口ジロー先生のものでした。どうも「オンナがメシを作り、男がただ食う」みたいな構図が気になる点以外は、本当に美味しそうでいい絵です。
(今読んでいるグルメ紀行を書いているのは女性作家。でも挿絵でご馳走を食らうのはオトコの絵。本文は「レストランのご主人の揚げたトンカツを食べるアタシ」みたいな文章なのに、谷口氏の絵でメシを食うのはオトコ。オンナがメシを食う絵がない ??)
■自分の大学は体育会系でした。そんなせいだったのか、先生方も学生も、熱気のある方が多かった気がします(竹淵は文系)。
私は人生において、メソメソしている方の時間が多いようなものですが、その都度、若い頃誰かから聞いた「泥水をすすってもやれ」みたいな言葉を思い出します。
なんぼ自分でも、何もしないうちからメソメソはしないと思います。何かやって、思い通りにならなくてメソメソするんだろうと思います。それが甘えで、足りない所なのだとやはり言われた記憶があります。
OVAジャイアントロボで、自分の力を出し尽くし時が、本当の始まりという言葉があって、結構好きでした。(劇中で本当に自分の力を出し尽くしたキャラは、ほぼ死んでいるんだけど)
ともあれ、今の私は、仕事等でない限り、やりたくない事をしなければいけない訳じゃないのだと思います。例えば、大嫌いな音楽や体育の授業を受けるとか。音楽と体育は好き嫌いを通り越して、自分が宇宙人かと思うくらい出来なくて、でもクラスメイトは合唱やスポーツが大好きで。
音楽と体育だけは、もう泣くしかない対象でした。あんなに嫌いで適性の無い事は二度は出会わないと思います。自己嫌悪と劣等感を、一生分味わいました。楽器に触れば指が動かず、歌えば隣の子に「アンタオンチだから口ふさいでて」と言われ。
体育の授業で走れば「ドンガメのアンタには、ハンデあげる」「ケツが重い」とさらしものにされ。懸命に走っているはずなのに、おどけた男児が、私の隣をアホみたいに歩いてくれて(完全に私をバカにしていた)。泳げば、溺れていると思われて救助されかけたり。
兎に角。私はジッとしていたり、夢中になれる対象が目の前にないと、多大なるイヤな記憶や苦痛が一瞬で蘇ります。フラッシュバックとか言うそうです。穏やかな時間なんてありません。進まなくても、進むだけです。 |
|