■ドストエフスキーの罪と罰を読み終えました。セリフの長い部分がありますが、他のドストエフスキーの小説でも、三ページくらい人物がしゃべり続ける事がよくあるなと思いました。
解説や粗筋をかなりあちこちで読める作品です。以前聞いたドラマCDを思い出しながら読みましたが、CDの方はラスコリーニコフとソーニャのやり取りが多かった様に覚えています。美しい話でした。
ラスコリーニコフの周囲にいる人達の思いや行動は明稜なのに、彼自身のブレは結構あります。ブレこそ彼と言うか、前半の英雄気取りはどこに行ったと思います。そして、よくよく読むと、彼が高等遊民と呼んでもよさそうな立場にある事に気が付かされます。
それからの代助が、親の勧める見合い結婚か、三千代との「自然な」不倫関係か、というあまりよろしくない悩みに突き進んでいる様に。ラスコリーニコフの「悩み」も、ソーニャが言ってくれるような貧しさ故のものじゃないと言う事は、頭に置いておこうと思います。
■白骨温泉〜平湯温泉へ旅し、帰って来ました。それぞれに一泊した、短い旅です。大菩薩峠の中里介山で有名な旅館も白骨にありましたが、今回は安めの別の宿に行きました。
長過ぎる上に流血と死の多い大菩薩峠において、あの白骨における日々だけは、妙におっとりしています。何故かお雪だけは、竜之助に関わった女性達と違い、残酷な目にあっていません。
否、結構あっているのですが、目に見える酷さがないとうだけです。しかし彼女、竜之助の子供を妊娠していたはずなのに、未完部分まで読んでも「妊娠していたらしい」ことしか分かりません。
仕事もなく、ゴロゴロしているか、人を斬るしかないだろう竜之助の反応なんかあてにしても、この小説は読めません。
ただ分かるのは、彼女が余程疲れていて、それでいて悪魔のような竜之助から最後まで離れられない事です。男のエゴを書いただけの小説と思いきや、女性達も大胆に生きているので何とも言えません。
お銀様の一生ものの火傷とか、余りにどうにもならない事件の多い小説です。竜之助のあまりに人でなしの所も、ひたすら人でなしなだけです。ただ白骨を後にした時、高山でお雪をそれとなくかばっていた彼の振る舞いは、単にDV男の気持ちのブレなのか、よく分かりません。
(DV男、モラハラ男の場合、暴力を振るう相手に優しくする場合は、恩着せがましく、絶対に相手が「厚意」?に感激?せざるを得ない様に行うから、高山の竜之助の振る舞いは、完全に「そういう気分だった」だけだろうと思う) -----------------------------7e3d12840324 Content-Disposition: form-data; name="image"
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