■落ち込んだから小説を読むのか、小説を読むためにあえて落ち込むのかよく分かりません。ただ人生絶好調とか思った時に読む小説は、あまり面白くない気がします。
ドストエフスキーデビューしたのは、14歳くらいの時でした。中二だったからなのか、そういう気分だったのか覚えていません。読書感想文で学内のものですが、賞状をもらいました。白夜でした。
ですが
よく考えると、登場人物の気持ちになって考えてみようとか言いますが、無理だろうなと今思います。細かい事を挙げると、今の日本には下女、おさん、女中さんというものがいません。多くの女性が、家庭内外で男達に使役されている事実はありますが。
漱石の猫にも、おさんが出て来ます。猫や先生が日常的に接していた、そういう「身分の低い女性」が建前上今の日本にはいません。時代も環境も全然違うのです。
明暗では、お延の唯一の味方の様な存在が、彼女の下女のお時です。お時とはなんなのか、また行人のお貞さん、お兼さんの立ち位置が分からないと、読解できません。坊ちゃんの清も同じ目線の女性の一人です。
そして孤独と金の悩みを終生書いていた漱石は、実は、家族も人脈も友人も多い男で、当時のサラリーマン達よりはるかに高収入でした。そんなお偉い漱石の小説なんて、どうせ今の時代に生まれた私が読んでも、わかるはずないだろ・・・とは思いたくないものです。
■しつこいのですが。何故えるは、単純に「兄弟が欲しい」と言わないで、「尊敬できる姉〜」とか言い出したのでしょう。
「だらしない姉」が欲しいとは思わないでしょうが、えるの全てを語る様な断片に思えます。自分のいい様に、周囲を解釈するあたりが。
えるは、多分関谷純とお風呂に入った事があるのだろうと思います。叔父姪なのであり得る事ですが、えるは「大好きだった叔父=他人で同世代の奉太郎」と思っている向きがあったので、平湯の男湯に入ろうとしたのでしょう。
関谷純が、えるを男湯に入れた事があるのか分かりませんが。えるなら、すっぽんぽんで男湯にいそうだと思いました。あんなキラキラした目の、長い髪の美少女が幼いとはいえ、男湯に来たらさぞ異様な光景だったろうと思います。
そんなえるの分からない振る舞いに。きちんと、男子高校生らしい反応を示す奉太郎が好きです。里志みたいに、「お嬢様」扱いして距離を置く方がどんなにか楽でしょう。 |
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