■炉辺荘のアンを読んでいます。世間のアンというと、少女時代のアンです。近所の図書館に昔から、赤毛のアンシリーズ全巻がありまして、一種の権威というか圧迫を漂わせていました。
アンとギルバートが結婚するというのはなんとなしに知っていましたが、それにしても巻数が多いと少女時代から思っていました。
アンの6人の子供達が登場するのだから、巻数も増えます。とりあえず完走予定ですが、炉辺荘のアンに漂う暗闇は他の巻と違います。日本でいうと廃藩置県〜満州事変くらいの時間の流れなので、モンゴメリにしてもアンにしても、違う人にならざるを得ないくらいのあれこれの蓄積なんだなと思います。
■コロナその他で目の前が真っ暗な気分です。こういう時、三国志を読むと当時の暗闇ぶりについて、少し理解できるのかなと思います。
単純に仕事で疲れたのも思います。体のサイクル的には、特に乱れる時期ではありません。家族もペットも元気です、明日は給料日です。別に泣くようなことはないのに、なんとなしに気が重いです。
大学の頃も、やたら泣いていました。ただ訳もなく悲しくなって、休日の夜とか泣いてました。日曜の夜になると、明日の講義のことを思って、どうにか立ち直りました。
自分は、何もしないということが大変苦痛です。昔、最後まで慣れなかった「お友達の家に遊びに行く」というやつがどうしてもダメで、気が付いたら他人の家を掃除しだしていました。座って談笑しろと空気が言うのに。
今思うとアホかと思いますが、仲良くもないし、むしろ嫌いあっているけど、ある種の圧力でお互い一緒にいざるを得なかった関係って、あの子にも私にも地獄だったんだなと思います。
そんな自分の免罪符的行為が、旅行です。ただ電車に乗る旅、ただ泊まるというだけの旅、観光づくめの旅、なんでも好きです。ただし修学旅行と異性との旅行は嫌いでした。奈良公園とか、いつか絶対リベンジします。
金と時間と自分の体力さえあれば、唯一許されたろうヒーリングである旅行が、コロナのために潰れかけています。家人は「旅行なんていつでも行けるでしょ 優先順位を」と言いますが、自分が「熊本ってどんなところだろう」と思ってから20年くらい経っています。8000日くらい待っている勘定です。
幼少期からの漱石オタク、漱石信者の自分にとって、大人になったら行きたい場所のベストファイブ入りしていました。熊本が私を拒むことはないと思いますが、「不要不急の外出で何かあったらお前、職場ないし家族が困る」という、有象無象の何かが漂っています。 -----------------------------7e4118405d8 Content-Disposition: form-data; name="image"
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