■毎日愚痴っぽくすみません。
でもマーニーは、もし自分の寂しさや辛さを両親に言う事が出来たなら、状況は違っていたのかなと思います。エドワードに少し訴えても、「根性見せえ」的な応対だったらしいです。
いじめられている人に、「根性足らん」とか言えるエドワードと結婚してしまったマーニーは不幸せだった気がします。でもマーニー父、マーニー母、使用人達、みんなマーニーが何か訴えれば、「この根性なし、恩知らず」とか言い出しそうな面々にも思えます。だからマーニーも何も言えないのか。
(この辺、マーニーがグンマ様みたいに思える。グンマ様も24歳までの境遇は文句言っていいと思う。でもあまりに熱心な教育家の高松の存在故に、「僕は幸せなんだ」と思おうとしていたのか。
でも全部高松(とサービスの)自作自演だった。グンマはキレていいと思う。ただしキレ具合はサービスの方が度を越しているので、キレ勝負で負ける想像になる マーニーみたいに「別の血縁」と人生をやり直そうと、グンマも25歳以降思ったのか)
マーニーが毅然と振舞うと
やっぱり小公女のように、「ぼっちのくせに偉そう」とか使用人達にいじめられるめぐりあわせなのでしょう。ラビニアいわく、「あの子は境遇を知らない」とかだたそうです。「だから分からせてやる」と。
財産、地位、美貌、健康、婚約者等に恵まれたマーニーは、幼い少女でも使用人達には格好のターゲットだったのかもしれません。このへんの悪意は、原作でも映画でも同じでした。
いわゆる「ばあや」は清ではないですが、親同然に優しいというのが日文のパターンな気がするだけに、思い出の〜のキツイ部分に思えます。アンナの周囲はいい人が多いのに、マーニーの世代近辺はきつめに思えます。 |
|