■モンゴメリの、マリゴールドの魔法を読み終えました。アンがいかに読者を意識した作品なのか、わかった気がします。マリゴールドにはダイアナ的な存在がありません。
アンが明るく友達の多い、夫と子供達に恵まれた、自己肯定感の強い娘さんであることは、結構モンゴメリワールドではイレギュラーな事なんじゃないかと思います。アン以外の作品ではヒロインの血縁関係、孤立等何度も書いています。
アンは血縁がおらず、何々家という概念があまりありません。モンゴメリの本には珍しい事です。カスバート家、ブライス家というワードはチラチラ出てきますが、あくまでマリラやギルの性格をあっさりと説明した時のものだった気がします。
■あみちゃんのマンガのキャラについて、考えていました。
・何名か、初登場時から「このキャラは天使です、エンジェルです、ゴッドです」というあみちゃんの推しを帯びたキャラがいる。サビとか。帝月とか。サクラもか。(チャン5にはいなそう)
そういうキャラは、何か恐ろしい事をしても、「天使の気まぐれ」的な扱いになりがち。サビは自分の悲劇には敏感だけど、グンマやシンタローの悲しみには無頓着。帝月も、あれで「いい子」ポジションだったら何かの誤植かと思う。
なんでそうなるかは分からないけれども。リキッドも、つまり彼は最初から「この子は皆のエンジェル☆」的ポジションなので、「可愛い天使ちゃん」がちょっとイライラしても、キレても、キャーもっとして☆なイメージで描かれたんだろうなと思う。
何回かあみちゃんのマンガを読んだり、少し間を置いたして読むと、「この子はあみちゃんがエンジェル的ポジションとして描いたんだな」と気が付くかもしれない。惜しいかな、「そうなんだろうな」と気が付くのは結構難しい。
ハレもあくまで「本当はいいやつ」としてあみちゃんがブーストをかけたため、酔っ払って立ちションという、あんまりカッコイイと言い難い絵でも、「王子様の戯れ」扱いなんだったんだろうなと思う。
マンガ的には、天使なキャラならいかに天使なのかマンガで読みたいし。カッコイイ王子様的なキャラとして生まれた、または美中年・イケオジ的なキャラであるなら、そんな風に描いてほしい(そしてイケオジキャラでも話のメインになると、かよわくなるファンタジー 例高松、マジック)
あたかもどこかに何か描いてあったかのような頭で本文を読めと言うのは、源氏の失われた巻をイメージするような困難な作業になる
色々読みながら右往左往した結果、あたかも六条御息所と源氏が出会った巻を読んでしまったような、トキメキを自分で想像するようになるのかもしれない。輝く日の宮の巻=あみちゃんのマンガの二次創作なのかもしれない。 |
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