■お父さんは珪さん(孔明と子瑜お兄様のお父さん)
または堅パパ(便宜上、孫権と同じソンケンという音なので、三国志好き同士が話をする時は、文台さんはパパと呼ばれる事がある 権、策のパパ)
先生は水鏡先生 ホウ家は親類 徐君はお友達 呉は実家(お兄様が呉で仕事しているので、諸葛家の本家は呉と言う事になる)
子敬さんは理解者 曹魏は仮想敵国
・・・というのが、疲れた時他の竹渕の内面です。初夏のころは、「夏が終わるまで、近隣で気晴らししていればそのうち鉄も同人も再開できるだろう」と気楽に思っていましたが、もう限界です 限界でもどうしようもないので、心を荊州に預けようと思います。
■中国史で、曹魏が正当な王朝である事は明らかなのですが。呉も六朝とか言われるくらいなので、まんざらでもない扱いです。独特の六朝のムードとか好きです。
蜀漢の扱いは大体ひどいです。一応何かと主役扱いされれていますが、少しでも三国志をかじれば、圧倒的に最弱の存在であることが分かります。
孔明の北伐も、大いなる「フリ」であると思うと理解できる気がします。若気の至りで、そんな蜀漢を批判することは容易です。
ですが、蜀漢つまり劉備達の正式な自称は「漢」です。あくまで魏ではなく、自分達が劉邦から続く国なのだと名乗っています。
当時の一般人には全然関係ないだろうし、戦争ばかりでイヤな時代ですが、「読者」としてはホロリとしていいのでしょう。年をもっと取ったら、落ち着いて三国志をやり直したいです。
さてそんな色々を多分、史上最強の精緻さで書いてあるのが、天華です。多分コアな歴女、かつ腐女子でないと楽しめない本です。しかしそれだけに「当時の食事」「当時の衣類(大事)」「当時の習慣」等が、本当にどの男性作家よりミッチリ書いてあります 素晴らしい
男性の作家だと「国の大義」「男とは 男のプライドとは」など、ガチガチに訳わかんない事で話を進めてしまうのでしょう
劉備に「皇帝になんかなりたくなかった」と言わしめたのは、天華だけだったと思います。そうだねえとしみじみ読みながら、そもそも天華というタイトル自体、周瑜さんが亡くなると用をなさないタイトルです。
続けちゃアカン小説だったなあと思います。成都の雰囲気など、類を見ない描写力なのですが、容赦なく男色も書かれます。男色の点描を否定しませんが、周瑜さんが亡くなった悲しさを埋めるには至らないとも思います。
(周瑜さんもホウ統も、死に孔明関係なくてもいいじゃんと思いつつ、そんな絡みでもないと、主役の癖に孔明は話に参加出来ないんだ・・・)
自分が童心に帰って三国志を読めなくなった第一の理由が天華との出会いなのですが。その一方で、あの諸葛家のキビシイ書かれようがなかったら、多分今日まで彼等を愛しはしなかったかもとも思います。 |
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