■もし
あみちゃんの抱える(?)内なるテーマが、作品内で昇華されていくのが読めたなら、と思っていました。シンタローの父親への感情、コタローの家族への思いなど、昇華・消化されていくのが見えたらなと。
多分、作品内でクローズアップされていくキャラは、みんな姫化しているんだろうなと思います。強くカッコイイ叔父様だったサビは、ジャンからお顔パンとされてるし、粗野なヤンキーだったはずのリキッドは、カワイイみんなの家政婦になりました。
マジックもスポットライトが当たると瞬時に、傷だらけの美少女の様な感じを帯びます。一回も(あみちゃんから)好意的なスポットライトを浴びなかったアラシヤマ、ルーザー様、高松、グンマ様などのキャラは、さほど美味しくない立ち回りの割に、キャラ性は維持・強化されていったのでは。
すげえ名家出身のママと、すげえ優秀なお医者のパパを持つ、海外生活もしたお嬢様の「内なるテーマ」って、とてもグンマの山奥で代々暮らす田舎者には想像尽きませんが。「マンガで分かる、家庭の悩み解決への道」みたいなのは読みたかったかなと。
■ジェンダーとか、「らしさ」ってある意味便利なんだろうなと思います。エライ人にはお茶くみをし、粗相のないように振舞うと大体喜ばれます。
男の子はスポーツを「やらせて」おけばいいし、女の子は「あんまり勉強なんかしなくていいから、キレイめで、家にいるのが好きな、家事好きガール、でも適度に性格が明朗で友達も多くて、気配りも出来るお嬢さん」にしておけば「間違いない」んだろうと思います。
なんかこう、エライ人達が「日本に子供が増えればいいと思うけど、女性や家族のある人を大事にする気は毛頭ないし、きちんとセックスやジェンダーについて、若い人達に教育を施すことはイヤ、面倒、勝手にして、でも子供産んで、税金もシッカリ納めて」と、わけわからない事言うのを思い出します。
矛盾しまくっているのに、誰も指摘しない。
指摘しても、「日本は昔からこうである」とエライ人はふんぞり返る。日本の古代と言えば、女神であるアマテラスや、中国史にも名が残る卑弥呼などあるんだが。
日本の伝統って、明治以降の現象が多いので。
当時の日本が参考にした「伝統」ってビクトリア朝なのかなと思います。政治等はドイツ風、家の中の事?はビクトリア風なのかなと。性に謹厳だったという時代。
ビクトリア風は爛熟、英国の最盛期等言われる名高い時期ですが。段々のちの小説で「彼女、ビクトリア朝風なのよ」「古風なのよ」など、からかわれるキャラがあるくらい、「古め」のものです。何が伝統かと。
(そんならまず、女帝誕生とかの方がマルッと英国式では?)
変わらないのが伝統ではなくて、惜しまれ、懐かしまれるくらいで丁度いい事象じゃないかと思います。そもそも、外国の文化をたっぷり輸入して作られた「伝統」であるのが、何故分からないのでしょう。
どっかのエライ人が。「北海道は昔から日本だ。だって地名は皆漢字じゃないか」とか言ったそうです。北海道の地名は、アイヌの方の言葉に漢字を当てはめたものが多いです。エライ人が何故エライのか、よく分かりません。 |
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