 ■歌丸師匠の、真景累ヶ淵を聞き終えました。
・宗悦が殺された事と、最後のお熊の懺悔まで、何か関連性があるの考える
・恨みとか言うと宗悦の娘の豊志賀担当、でも彼女の恨みと、宗悦の死は関連性が薄い
・新吉が宗悦を殺した男の息子なのだけど、豊志賀の幕では特に触れられない
・宗悦のもう一人の娘、お園は無理やり新五郎を破滅させるための存在だったのかもしれないが、それではあまりにお園が報われない お園と豊志賀に宗悦の敵を取ろう言う気持ちがない
・お熊の懺悔で、新吉とお賤が、兄妹だった事に気が付き、二人とも死ぬのだけど、お熊は宗悦の死に関わっていない。新吉とお賤の心中で、宗悦が浮かばれるかと言うと、そうとも思えない
深見家の血が絶えたから、宗悦の復讐が完成されたと言えるけど、誰も「宗悦の敵を討とう」とは思っていない。誰かに深い恨みを持っているのは、豊志賀くらい。宗悦の死はあくまで発端であって、深見家の血筋さえ、物語のキーではない。
牡丹灯籠の時も思ったけれど
歌丸師匠は、結構話を端折っているか、聞きやすくしているのかもしれない。もっとも落語には、オチがあるようでないので、小説的な起承転結はそもそもないのかもしれない。
累ヶ淵は、ゾッとするくらい楽観的な殺人の嵐。殺人を殺人で誤魔化そうとするので、殺人が減らない。これが天の声という事なのか、悪い事をして誰も見てないからいいよねという甘さを見透かされた、長い話だったのかもしれない。
もし、現代のいじめっ子が、どこかで、例えば就職してからとか、子供を持った後とか、昔自分がいじめて来たように誰かにいじめられれば、いいと思う。全然過去のいじめなんか思い出さなくていいから。悪い目に遭って欲しい。累ヶ淵は、そんな話だったのかもしれない。
■自分は仕事等で接客しても、相手の顔と名前をじっくり覚えられないのですが。それでも、覚える・覚えられるの事態に遭う事があります。
昔
コンビニで何回か雑誌を買わずに立ち読みしていたら。 (本当にすみませんでした)
「うちはそういう店じゃない」と店長らしい人から怒られました。私はカッとなって「じゃあ買います」と財布を出そうとしましたが、もう私はお客ではなかったらしく、「出て行ってくれ」という感じだったので、出て行きました。
コンビニなら、という甘い気持ちが大変申し訳ない事になったのを、反省しています。ちなみにその後このコンビニは、コインランドリーになったので、店長の「お前のせいで無駄な労力を使った」「お前は何をしに来たんだ」「お客でもないのに」「いつもいつもいつも」という怒りの深さが想像されます。
これ、相手の事情等を分かった気になって、甘いと言うか、ズルい振舞いに出ると、どれくらい失礼なのか、勉強になりました。
「されたらどう思う」なんて、なるべくなら一生味わいたくないです。 |
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