 ■ムーミンパパの思い出を読みました。児童書なので、二時間くらいで読めました。以下雑感です。
日本の児童書って何かというと、「主人公の気持ちになってみましょう」とか言い出しますが、ムーミン世界には無用の概念だったらいいと思います。(パパは孤児院の先生をある意味見殺しにした)
・ヨクサルの行動倫理を思うと。夜更かしや仕事上の無理が、馬鹿らしくなってしまう。
別にヨクサルは本当にだらしがない訳でなく。多分、フレドリクソンが言うように、深淵なる何かがあるのかもしれない。または、彼だけに見える何かがあるのかもしれない。
ヨクサルは、自分の予感は当たるというので、高松ではないけれど勘のいいひとなのかもしれない。高松の場合、動物的に勘がいいというより、頭を人の何倍も動かしての結果だと思うんだが。でも天性の観察眼的なものは、ヨクサルも高松もあろうかと思う。
・食べるか寝るか、うつらうつらする生活
最高だと思うんだが、映画の寅さんじゃないが、人間は食わねばならない、食うためには働かねばならない。
寅さんじゃないが、「きれいな女性といれば、お腹なんか空かない」なんて言っていられない。
(別に寅さんがどうこうという事はないのだけど。こんなヒモ宣言・ニートな男の前で「キレイ」でいなければならない女性がいたら心底かわいそうだと思う 髪を振り乱して男を養うために働いて、ブスとか言われたら傷害事件でも起こしかねない)
ムーミンワールドだし、そもそも外国の児童書なので、金銭の流れとかは考えた方が負けだろうと思う。医者もいないあの世界で、病気や妊娠の際どうするんだろうとかは思ってはいけない
日本の児童書だと。
児童書でもヘビーな事が多い。児童書のコーナーには必ず、第二次世界大戦を扱った絵本がある。大人になっても怖い。
「お母さんが死んでしまった」「お母さんが入院した」「お父さんは最初からいない」「孤児である」「子供は重病」「子供の家族が重篤」「ペットが死にそう」等、日本の児童をテーマにした本はとかく重い。
日本の子守唄も「寝ないと川に捨てる」とか、冒頭から飛ばしている歌が多い。海外の児童書を読むテンションが、実はまだ私は身についていない。
日本の子供(と女性)は、おっさん達を肥やすためにしか存在していない。オリンピック騒動に見られるように、女がどれほど頑張っても、無視される・邪魔にされる・馬鹿にされる。また子供が死ぬほどのいじめと虐待を受けても、えらいおっさんにはどうでもいいことらしい。
私はあんまり日本の児童書は好きじゃない。ならば海外のものは?と思うと、読み方を忘れてしまった気がする。とりあえず、仕事等で疲れたのでヨクサルのように寝てみた。オレンジとリンゴと、クリームケーキと、可愛い息子のいる彼。 |
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