 ■漱石の道草を読んでいます。いつのまにか、健三より年上になっていました。
なんで健三が周囲に金や物をばらまいているかですが。無心されているからにほからないのですが、三四郎やそれからを思うと、別の意味を覚えます。
美禰子と三四郎の関係は、美禰子が三四郎に金を貸したところがピークのように思えます。与次郎も、「金を借りたままにしておけ」等、意味深長です。実際、三四郎が美禰子に金を返した時、美禰子と三四郎の縁が切れます。
それからでも、三千代は代助に金をねだり。代助は三千代に金をいつまでも与えます。肉体関係があったかもしれませんが、義姉が代助に泣きながら金を与えたように、金の授受=愛のあかしと読んでもいいんじゃないかなと思います。
健三も、皆を本当は愛していて、自分も愛されたいんじゃないかなと思います。憎いはずの義父母にも「自分は彼等から愛されている・彼等を愛している」「自分は今も昔も、不幸でも孤独でもない」思いたいから、健三は金をばらまくんじゃないかなと思います。金の授受は愛のあかし、月の光は愛のメッセージ
■車ってジェンダーの固まりだなと思います。
男っぽい車、女っぽい車、と露骨にハッキリ区分されています。大きめの車でも「二児の母が育児のために乗る」仕様等、ライフスタイルまで公言して買う・乗るようなものです。
グンマの男尊女卑は、しばらく終わらないだろうと思います。(女がカッチョイイ外車や大型車、お高いスポーツカーを乗ってもいいのだけど、それを「許す」父、夫、息子はいないだろうと思う 女の使える資金は少ない)
■フィアットちゃん欲しいと思いながら。
職場の「美少女」の部類の若く可愛い女性が、愛らしいピンクのラパンから降りてくるのを見ました。ラパンはフランス語でウサギの事で、まさしく愛くるしいうさちゃん仕様の軽自動車がラパン様です。
ああ竹渕は、心底ラパンに惚れ込んでいない限り、買っても乗ってもならないと思いました。
昔、
学校に可愛い服を着て行けばバカにされ 可愛い文房具を持って行けばバカにされ 技術の時間に可愛い工作を作ればバカにされ あまりにあらゆる不安が高じて、いわゆる「女らしい」しぐさをしていたらキモがられ
ラパンからもドライバーの美少女からも、なにか私が酷い事された訳じゃなくても、キュートでラブリーでスイートなラパンは選ばないかもしれないなと思いました。
■昔
職場で余りに緊張状態が続き。ちびちびお茶を飲んで、「なんとか席から逃亡しない」ように頑張っていました。
そのくらい、居心地が悪かったんですが。
当然、緊張しつつお茶を飲むと、トイレに行きたくなるわけで。ハイパー居心地の悪い職場から、合法的に一瞬だけ離れる方法が排尿なら、喜んでトイレに行きました。
結果
「竹淵さんは職場でお茶飲んでトイレに行くだけだ」と言われました。まあ、その通りだったんでしょうが。
(そういうこと一日8時間言われる、ないし「ああこの人こういう事今アタシに思ってる」と8時間ぶっ続けで想像するから居心地が悪いんだけれど それでも出来るだけ耐えた)
そう言えば小学生の頃も、あまりにクラスに居にくくて、トイレにいつも逃げ込んでいたら、逆に「フケツ」「下痢女」といじめがエスカレートしたのを思い出しました。緊張状態が長いと、トイレが近くなります。 |
|