 ■道草雑感です。明暗と似ているかなと思います。
明暗のお延は「愛されているアタシ」という幻想に振り回されていました。津田は見栄っ張りで、愛しているのは自分自身だけという、わがままで冷たい男です。
そんな津田を裕福でクールなイケメンと誤解し、結婚まで突っ走ってしまったお延の最期は書かれていません。
健三も
愛してもいないし、むしろ憎んでいる、軽蔑さえしている人達の中にいて。「俺はみんなから愛されている、必要とされている」と思いたくてならないのかなと思います。
こっちがアイラブユーとでもいう感じで振る舞い続ければ、否が応でも空気がホンワカして。孤独も憎悪もきれいさっぱりなくなるんじゃないかという誤認。
(キレそうなくらいイライラしていても、人間は無理やり笑顔になると、それなりにハッピーな気分になるらしい 脳の恐ろしさ)
エヴァのミサトじゃないのだから。
「アタシはしっかり者」「アタシは有能な軍人」「アタシは優しい保護者」「アタシは頼れる上司」「アタシは猫で寂しさを誤魔化すかわいそうな年上女性の、唯一のお友達」等、の小芝居を重ねる罪悪は自分にも周囲にも辛さが増すだけなのでは。
(ミサトの妙な使命感に、いつも振り回され、傷つき、周囲に嫌われるシンジ)
■漱石の道草を読んでいます。漱石の小説の中で、最も暗いと言われているそうです。
鬱と言うか神経衰弱の三十路と、ヒステリーに見舞われる細君と。そんな夫婦に延々金をたかりに来る親戚一同の話です。
暗いと言えば門も暗くて地味だと思うのですが。ジブリ的にはなにか好感を覚える、うっすら明るい話に読めるのだそうで驚きました。(ポニョの宗助の名前を、門からとったと言う)
道草は暗いんですが。いいところがあって。例えばそれからを読むと、前期三部作を一気に読みたくなります。ならばとこころを読むと、あ、これは彼岸過迄を読まねばならない、と延々漱石ワールドを低回することになります。
低回っぷりが漱石を読む楽しみですが、ふと読もうと思った時には、重すぎます。こころとか、あの一作で十分の重いのに、ああこれ、行人の二郎が義姉と結婚するながれの支流なのかなとか、もっと重くなります。
道草は、漱石ワールドの中で単独で読める珍しい作品ではないかと思います。漱石の自伝と言えば自伝だし、内容はさんざん他の小説で読んだ「解説」部分のおさらいとも言えます。
暗くて重い、いつもの漱石です。 |
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