 ■細雪を読んでいます。始めて読んだ時は、妙子より若かったのですが、いまでは貞之助くらいの年齢です。
ところで。上巻を読んでいても、妙子の不始末のあれこれは想像できません。器用で賢い女性、世間にも通じた、如才ない女というのが妙子でした。「こいさん頼むわ」というのは、細雪の幕がどう下りるかの暗示でした。(妙子の個展が雪子の縁談につながる、らしかった)
上巻も中巻も、幸子達の目線の話なので、妙子のあくどさは語られません。物語を盛り上げるだけのために、病気になったり、災害にあったりするのが妙子でした。谷崎の仕打ちのきつい事。
上中には書いていなくても。せっせと啓三郎が妙子に金や宝石を貢いでいるんだろうと思うと、微笑ましささえあります。(谷崎のトーン故の感想だけど、奥畑家に妙子は妖怪かなにかに思えたと思う。妙子は啓坊と結婚したくないし)
■細雪を読んでいます。年一回は読んでいるんじゃないかと思います。
瀬越が見合いを断られました。男から断るのは言い、女から断るのは、男の体面に関わるのであかんという考えは飲めませんが、蒔岡家お得意の、土壇場の御断りです。
瀬越も「調べが済んでいる」というのを信じての、たびたびの見合いだったのでしょう。ところで「調べる」って、時代錯誤のように思えて、今でもガンガンに大事な事の様に思います。
それでも「結婚したら、本性を現した」なんていうのはよくある事で、かつ腹立たしい事です。そんな悔しい事にならないように、蒔岡家のようにこれまた腹の立つくらい悠長に、慎重に、偉そうに調べるのも一つなんだろうなと思います。
それに
「この人と結婚をしようと思う」と発言した後に、知人、友人、親戚等にあれこれ聞いても誰もイヤな話はしません。
(現代には全くの見合いというのがない。ツヤのある話=本人同士は肉体関係まである、十分内縁、異性としての関係、とドカンとイメージされる、そうなって間違いのない相手なのかという情報はどこにも転がっていない)
よく言えば「あなたが選んだ相手ならいいじゃない」という事ですが、そもそも「こいつと結婚して自分は幸福になれるか」と思った時点でアウトです。かといって、「自分がこの人を幸せにしたい」とか思うのも違う気がします。相手に私は不要だろうし。
さても念入りに、注意深く、執拗に相手を調べざるを得ない事自体が不幸のように思えます。
果たして調査で得られた結果は、大体もっと不幸な内容で、「まあ結婚話なんて自分には貴重だし、次がないと困るし」等で、「昔の見合いなら」とウッカリ結婚するしかない状況に自分を追い込むと言うのも、今はやりの自己責任と言う奴で、ビッグな不幸です。
結婚って不幸の別名だなとつくづく思います。
否、結婚して幸せになった人達は、いらない妬みや攻撃をかわすために、あえて不幸そうにしてるんだと思います。 |
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