 ■ムーミンと言うと。一様に愛らしいものという印象ですが。なんとなしに平成ムーミン内やパぺ内で混在しているように、小説由来のムーミンと、コミックス以降のムーミンでは大分違うように思えます。
戦前戦中を生き抜いたムーミンと、晴れやかに戦後デビューのムーミンだと、大分違うのかもしれません。女史の暗い、悲しい絵のムーミンワールドは迫力と説得力に満ちていますが、愛らしさは若干足らないかもしれません
(日本のムーミン受容史には、昭和新旧ムーミンもカウントされているんだろうか。スナと言えばギターと言う層もあろうかと思う。ムーミン受容史は、スナ受容史じゃないかと勝手に思っている。
日本人ほどスナに焦がれる国民はないんじゃないだろうか。ソロキャンプの祖じゃないかと思いつつ、スナは結構社会的な子、人でもあるので引きこもりではない)
■アニメやパぺのムーミンを見ていると。
あの小説の場面、セリフ、どこに行ったんだろと思う箇所がいくつかあります。
彗星の「可愛いムーミンへ」というケーキのメッセージを見て、錯乱し出すスニフとか。
どうしようもなくシニカルで意地悪で、現実味がないとも言える地の文とか。アニメやパぺのナレーションが、非常に細やかで丁寧なので驚いているくらいです。
どうにもアニメ等で濁されるあれこれ
・スナフキンのパパ、ヨクサルは育児放棄?とも言える。あんな立派な息子がいて、父親はどんなだと思えど、出会った既婚女性?に自分の子供を産ませた上に、しれっといなくなる話は、アニメではアウトか
・ミイも育児放棄されているとも言える
アニメ等の映像では、何かとミイの「背景」を立体的に描こうとしているが、要は「ミムラ夫人の放置子」になる
スニもそうなんだけど。小説からの登場のキャラは、ほぼムーミン以外孤児になる
常識的な母だの父だのいて、あの奔放な暮らしは出来まいという事なんだと思うが、規律と庇護は紙一重みたいなもので、スナが森の子供達を解放したと見えて、次の瞬間に皆でホームレスになった事件がある
ミイ、スニ、スナがたまたま育児放棄されても生き残った強い子だったというだけで、実は劇中ではかなくなった「小さな命」もあったかもしれない。
ムーミンがあくまで女史の「子供時代」をテーマの一つにしているため、ムーミンの世界は安全で自由で愛があるのかもしれない。でもそれは女史の身辺のみでの奇跡であり、再現は不可能だと思う。
どこにでも「芸術家なのに金も稼げる、おおらかな母」がいるわけじゃない。みんな貧しくとも真面目に暮らしているのに、何故か転落していくもんだと思う
女史がムーミン世界の創作についてパワーダウンしても。ラルス氏まで加わって、マンガと言う形でムーミン世界を永遠に金の生る木にしたのは、女史のママだったのかもしれない。
女史のムーミンと、ラルス氏のムーミンワールドがごっちゃになっている平成ムーミンのカオスを思うと、延命ってこういうことなのかなと思う |
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