■何かと鉄関連で話題になる、三浦綾子の塩狩峠を読みました。中学生の時氷点を読んで以来の三浦綾子の作品だったと思います。氷点と同じで読みやすかったです。
結末が決まっているだけに、途中のあったかい描写が読んでいて辛いです。客車が外れて暴走ってのは昔多かったと読んだ気がします。碓氷峠も機関車ごと、なんども操縦不可能になったそうです。
今は、ほぼすべての「車両」に制御システムがあるのがありがたいです。機関車&客車ってロマンですが、山道には向いていなかったかもしれません。
■鉄道が好きなのは。
例えば東京なら東京が、ピンポイントで「エライ」んじゃなくて。東京〜青森間の小さな駅も大事だし、東京〜新潟の間の小さな駅、小さな路線も大事なのだと教えてくれたからです。
東京って「エライ」のが一個ドカンとあるだけじゃ、なんにもならないよと教えてくれたのかなと。(コロナのワクチンじゃないけど、「あるところにはある」では困るんだと思う 鉄道は貨物が始まり)
(東京には何でもあるのだけど。東京ってのが既に詰め合わせみたいな存在で、田舎者の思う東京ってのは案外幻想なのかもとも思った。東海道新幹線でも、東京と京都大阪の両方があるから走れるのであって、東京一個ドドンとあっても?という気がした
よく、「こんな秘境駅、もの好きしか来ない」「こんな寂しい駅あるだけムダ」とか政治家まで言うけれど。鉄道、人の生活、ってのには「線」が必要で、大事な何かと何かをつなぐ線が鉄道であって、貴方が言う「あろうがなかろうが」な駅は、線を作る無数の点の一つなのだと言いたい)
■オリンピックだけじゃないんですが。
スポーツでもなんでも、「成功すれば上の人達の功績、レガシーで、失敗すれば演者他携わった各個の自己責任」っての、なくらないかなと思います。
あんたのために頑張ってんじゃないし
頑張って成功すれば「俺のムスメ」とか言って
みじめな様相を呈すれば「出て行け」ってのはないなと
常に成功できるわけないし
野球選手だって、常にホームラン打てるわけじゃないし
ってことを思うので、スポーツ観戦他大体好きじゃないです。一回でも、「みじめ」になった人へ上の人が「俺の責任です」なんて言ったものでしょうか
遺憾ですなんて言おうものなら、手が届けば殴りたいです。(でもどんなに傷つけられても、殴れば殴った方の「責任」なわけで。キツイいじめも、イジメられた方が「改善」を要求されて、加害者が「まあ元気ねえ」くらいのあつかいだ)Content-Disposition: form-data; name="image"
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