■文章を書くのが好きです。好きと言うより、書かないと死ぬと思います。同時にガツガツと何か読まないと多分死にます。一回、「筆を折って普通の女になろう(?)」と決めた時がありましたが、無事心が死にました。
読めない、書けないのが辛いのは自分にはよく分かる事なのですが。何気ない周囲との会話で、「小説とか文章を書くのが趣味」と言ってしまうと、「芥川賞狙うの?」とか話が飛躍します。
そのレベルでないと何か書いちゃいけないとは思わないんですが。普通に手芸やカラオケ、登山等の趣味と同じだと思うのです(職場に趣味でヒマラヤに行った人がいる)。
ただ竹淵のやっている事がプライベートなダイアリーと、版権ものの二次創作なので、もう(人に聞かれたら)「趣味は読書」でいいやと思います。(それはそれで猛烈な漱石信者なので、自分には起爆装置的オンな質問になる)
■疲弊は疲弊なんですが。内田先生の追懐の記を読みました。先生の書いた、周囲の人達へのおくやみの文章を集めたものです。
つい急いで読んでしまいましたが、先生の文章なのでとても読みやすかったです。この年まで読書好きでいると、「この作家さん、前と言っている事が違う」「あれ、どうも美化してやしないか」と思わされることがありますが、先生の文章はあまりそんな疑問に出くわしません。
荷風や谷崎もそうですが、戦争という波に乗らなかった人の方が、面白い文章を残している気がします。
戦争と言う大きな波の中、「戦意高揚」「戦争のレポート」等を書きまくった人も多いんですが、その後「絶対そんなことしていない」と言う姿は見ていて辛いです。
内田先生の場合、イヤならイヤと言える不思議な人だったので、文章の味がどの時代でも変わらないのでしょう。周囲の人達との交流も、借金関連はちょっとあれですが、仲良く過ごしている様子なんか読むとホッとします。
(いつも各「変人」の大御所達の作品を読むと、荷風を思う。好き好んで孤独死を選んだとも言えるし、医者にもかからなかったのだから、広義で自死とも言えそう。漱石だって家族に辛く当たったし、内田先生も相当の変わり者だった。
荷風は
奥さんには逃げられるし。女中には冷たいし。生来の身内からは距離を置かれるし、養子とも版権問題等でいまいちだったし。親切にしてくれる人達には非礼を働くしで、困った人だった。作品は素晴らしいけど、本当の意味で孤独だったのかもしれない) |
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