■ポルノグラフィティを聞いています。
デビュー頃の曲を聞けば、自分も若返るかというとそうではないので(気分だけタイムスリップしてしまう 自分の時空に帰って来てうろたえる)、聞く事に集中しています。別れの歌が多いように聞こえました。
愛とか恋とかって終わりが肝心と言おうか。下手する明暗の津田みたいに、上司の妻の支援を得て、人妻のストーカーになるという、最悪の行動まで招きそうです。(津田は自分の権利だと思って、流産後で辛い清子に迫りまくる ダメな男のダメな思考のダメな行動)
ルザ高も、よく考えるとキモは「別れ」なんだろうなと思います。あみちゃんのマンガの美味しい所は、「哀れな社畜のイケメンたち」と「男同士の熱い情熱と別れ」にあると思うので、ルーザー様と高松も例にもれません。(ルーザー様のウィキの記事が結構強い言葉で書かれているので若干辛い)
そう思いつつ。若い高松には、ルーザー様そっくりの男児キンちゃんを胸に抱いて、成人まで育て上げるくらいはさせてあげたいなあと思います。ジャンの件がなくても、ルーザー様もキンちゃんも高松も、猫の様にふいに「いなくなる」可能性の高い人種です。
別れを美味しく読めるのはグンマ様の内面の話かなと思います(グンマ様の場合、南国後別人のような立場になった自分と、別人のようになった高松が共存せざるを得ないところに地獄があるので、別れ話には該当しないかもしれない)
■大人になってセーラームーンを読んで。
「普通の女の子」であるはずの彼女たちの境遇が、最早政治家クラスの「雲の上」のものなのだと知ったのと同じように。(実際レイの父は政治家)昔、すごく年上に思えた文豪たちの年齢に自分がなったとき、ああ年齢じゃなかったんだと思うようになりました。
漱石の小説家としての活躍期間はほぼ10年です。小さい頃漱石を読んで、へえとしか思わなかった年齢、年数に最近ひどく驚いています。すごいのは、新聞社との契約とは言え、ほぼ毎年一作書いたことです。
いくら職業とはいえ、創作活動をそうコンスタントにできるはずないと思わせておいて、実行したのが漱石です。前後三部作と言われているので、各個の小説を別々に読むか、連続性を認めるかで違うかともいますが、ただただすごいなと思います。 |
|