■ノリノリでギャスケルは、シャーロットの伝記を書いたそうですが。確かにテンション高いです。書きながら、次第にご健在だったブロンテパパ、シャーロットの夫達と音信不通になったそうです。
えー?と思いますが。思うようにシャーロットの一代記を書きたいギャスケル、そして明らかに誹謗中傷じみている内容の一部について、パパと夫がうんと言うはずはないし。「アタシの!著作!」と言いたかったかのなと。フィクショナル伝記、えー?講談?
■ブロンテ姉妹について詳しくないんですが。
エミリが自作を、家族にさえ見せたくなかったのは有名らしいです。シャーロットが説得してどうにか詩集発刊に至ったとか言います。
で、シャーロットの伝記
シャーロットがメインなので、二人の才女エミリとアンについてあんまり触れないらしいです。伝記で伝えたいのが「こんなにヒドイ暮らしでも健気に耐えたシャーロット!」の姿なので、「姉妹で協力して暮らしていました」と書くと、書いている方はつまらないのでしょう。
読んでいる分には、姉妹仲良しの方がいいです。
「アタシだけがシャーロットの理解者!」というノリも味わいたいのか、ギャスケルのテンションがおかしいです。予備知識ないでこれ読むと、気が狂いそうです。延々、「これこれこうだった、と!思われる!」の連続です。ルポではないにせよ、講釈師だよなと
当時の小説家と言うとサッカレイくらいしか自分は読んでいなんですが。劇中に作者出て来ちゃう感じは、サッカレイも同じかもしれません。ギャスケルは出過ぎなのでは。
それにしても、シャーロットの人生はどうなればよかったのか。
・エジェとラブラブ
(あり得ない。精神的にだけとしても、気が狂ったようなラブレターが夫に舞い込み続けるのは、エジェ夫人にしても湯鬱なんてもんじゃない。エジェもノーサンキューだったらしい どうしたシャーロット)
そんな道ならぬものに燃えているのに、嵐が丘には理解を示さなかったのも、よく分からないシャーロット。ヒースクリフとキャサリンもどうかしていると言えるけど。
・姉妹仲良く学校経営
これが一番順当で穏当な姉妹の姿だったと思う。女手で出来る仕事と言えば、当時としても「子供の世話」だったわけで、いい選択
いい選択だと思うけど、エミリに「先生」が出来たんだろうか。数回の家庭教師、先生経験で三姉妹ともくたびれ果てたはず。それでも目指すところが「学校」しかなかったのが辛い
・求婚を受けれて、「夫人」になる
貧しく、美貌も愛想も期待できなかったらしいシャーロットにも、縁談はあった。でも断った。
そんだけエジェが忘れられなかったのか。母なき家庭に居続けて、「もう気持ちは既婚者」だったのか。
結婚に必要なのはご縁。つまりコネ。母方のコネはそんなにないようだったし、父方も「壊滅的」。むしろパパはアイルランドの実家に仕送りしていたらしい。
ニコルズとの婚姻後、シャーロットはアイルランドを訪問するけど、パパの親戚は訪ねなかったらしい。どうしてと思うが、この一家にとってはそうだったのか。
オースティンの小説と、ブロンテ姉妹の小説の違いは「身分」なのかもしれない。オースティンの場合は、エリザベスでも地主階級。家庭教師に出るなんてあり得ない身分。エマのミス・テイラーを思い出すが、ミス・テイラーは幸運な例だそう。
幸運じゃないのは、ジェーン。ミス・ベイツの姪だが、伯母のミス・ベイツも貧しい。その母である祖母も、貧しい「未亡人になった牧師の妻」。ブロンテ家の立ち位置は、身分で言えばこのあたりか。
ブロンテ姉妹は、あんまりオースティンを読まなかったらしい。そうだと思う、読んでも身分の差と思うと楽しめないかも。(高慢と偏見で、エリザベスが「地主階級です!」とキャサリンに言い返す場面があったと思う。シャーロットより彼女の方が「上」) |
|