madeingermany

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...... 2023年12月19日 の日記 ......
■ ブロンテ   [ NO. 2023121901-1 ]

・日光湯西川について考えていたんですが。群馬にも「平家」ゆかりの場所がいくつかあります。日本全国、東北から沖縄まであるようです。

そんなに平家って関係者多いのかと。ゆかり、とかまで数えれば膨大なんだろうなと思いますが、源平の合戦の後、そこまで広範囲に散らばる程構成員が多かったのかなと。

あと、そこまで頼朝の影響力ってあったのかなとも。(基本的に版図は関東中心らしい。元寇に対応したから力はあったと思うけど、そこまで平家が逃げる必要があったのか)



・まだ、ブロンテ家についての書籍を読んでいるんですが。パパがピストル持っていたり、姉妹が街に行こうとしなかったりしたのは、こういう時代背景があって〜と切々と書いてある本です。

え?そういう「当時はこんな時代でした」というオチがあるのなら、なんで、ギャスケル夫人はことさら「カワイソウなシャーロットォ〜」と書いたのでしょう。

シャーロットの死後と、彼女の生前とそんなに時間は経っていなかったと思うんですが。夫人はハワースの環境や人品についても結構アレに書いているので、あくまで夫人目線の伝記だということでしょうか。




夫人の書いた伝記を読んだ、シャーロットの友達エレンが。

「シャーロットはそこまで不美人でもないし、不幸で暗い人生じゃなかった」と怒ったそうです。そうだよなあと。シャーロットが成人してから、軽く知り合った夫人と、生涯の友人だったエレンじゃ全く違うだろうと思います。

単純に、姉妹が街というか村の方へ行きたがらなかったのは。

「めちゃくちゃ汚かったから」というのが理由なら、分かるかもしれません。上下水道がないも同然だし、つまりトイレはトイレであってトイレではない。



ハワースの問題は、村の坂の上に「墓地」があって、白骨化しないようなするような、湿気の多い環境になってしまっていることとなれば、坂の下に姉妹は行きたがらないかもしれません。行く用事も、そんなになかったろうし。(オースティンのヒロイン達は、お出かけ好きだけど)

どのブロンテ家についての本を読んでも、アプローチが違って面白いです。夫人の功績は絶大ですが、他にも本があるのは救いです。

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