・メーテルの冥王星で凍っている本当の体じゃないですが
自分の本体って、中禅寺湖の氷の中なんじゃないかなと思いました。別に、いつか掘り出して中に戻れるようなもん、国立公園にぶちまけてはいませんが。
ただ、機械の体になったつもりで生きないと、生きられないじゃんとは思います。999だと、ひたすら「プロメシューム悪!!コロセ!!」のノリなので深く語られませんが、人は機械です。
ひたすら、機械は悪!!とかやってないで、あれだけの人間が機械になっていった理由も描こうぜと思います。メーテルレジェンド&宇宙交響詩で「プロメシュームの暴走!!狂っていく女!!哀れなりメーテル!!」とかやってないで。
(※冒頭での加奈江さんは「機械の体が欲しい、でも金がないからムリ」と嘆いていた。つまり、機械の体は誰もが憧れる素晴らしいものだった・・・とも言える)
・・・・竜頭の滝茶屋で、念願のお雑煮を食べて来ました。あげてあるお餅を、お出汁につけた感じのです。
・米澤先生の、真実の10メートル手前を読みました。
以下、ネタバレもありますが、ご容赦下さい
・短編だと知らなかった。なんとなく、さよなら妖精で出て来た少女が大人になった後の話、と聞いていた。ふうん、と思ったらより凄惨になっていた。
氷菓が、まだまだ「手ぬるかった」んだと思われる。えるは自殺まではしていないし、幸い、劇中での数々の悲劇に、負傷者・死傷者はいなかった気がする
だから、「ビター」で済むのだろう
その後の先生の小説は、仮に真意・テーマが別にあるとしても、凄惨の一言だと思う。興味を持って最初の頃に読んだ。Iの悲劇あたりで薄々思っていた。救いはないと。
それでいて、心のどこかでアニメ氷菓のイメージが抜けなかった。そのままの気持ちで、満願も読んだ。
これで、「強姦」が描かれたら、マジ東野圭吾じゃないかと思うのだけどどうだろう。
サラッと。「金銭がらみで、いたいけな孫を殺す祖父」とか、日常的に出て来るし。
これで、「金銭目的で、実のまだ小さな娘に、近所のオッサン達へ日常的に売春させる母。娘は辛い環境から逃げるために、母を殺し、同級生に男(同級生の父親)を殺させる。その後、男には暴力・女には強姦を手段とし、社会にのし上がって行く娘」とかいたら、マジ東野圭吾だなと
米澤先生と、東野圭吾の区別が出来ない
エロのあるなし、しか分からない。一応、東野圭吾も、多少の救いとか、理屈的なものはある気がしないでもない。
米澤先生がエロなしだから、京アニはアニメ化して、まあないならないで・・・とえるの乳房・臀部・ボディタッチをノリノリで描いたのか・・・?
ドストエフスキーなら全部読んだけど。現代が舞台の小説だと、「時代性」とかで誤魔化しながらよむ事も出来ない。ちなみに最近、歴史小説も読めない
だって歴史小説・マンガ・アニメって、結局、「アタシはクールな後宮のアイドル☆」とか、現代人が読みたいものしか出てこない。一将功成りて、万骨枯るとか、そんなの現代人が読みたいだろうか?というか、血ドロドロなものが読めない・見られなくなった。 |
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