・むしろ、作家の「好み」をガシガシ前面に出してくれていいと思っています。
伊達に、ウテナやエヴァ、あかほりさとる作品を夕方6時に流していた時代に、オタクはしていません。ゴリゴリの作品は正義だと思います
ただ
そこで生まれるカタルシスって、「これをみんなで見ている!」共感みたいなものもあったろうなと思います。
みんなが見るから、というのはアカン考えかもしれませんが、みんなが見る安心感、翌月アニメージュでさらに深く考察されるのを読む楽しみはあったと思います
あみちゃんのオイオイオイという部分も、思えばきれいにまとめて当時は見られたなあと。思えば何か、熱々の料理でも食べるような、リアルタイムな何かあったなと思います それだけ、編集とか雑誌の力も大きかったのでしょう
「こんなスゲーエッチなのに!?」みたいなものも、時代が許す限り、漂白し、テレビや雑誌で明るく楽しく見られたのかなあと。
今はテレビも雑誌も斜陽でしょう
で
多分しげの先生の世界の場合
「こんな山奥で、危険走行やったるで!」「社会的なんちゃらなんかないんだぜ!」みたいなノリが、真似して本当に事故や怪我をした層はあったとしても、いい感じで認知されてきたんじゃないかなと
今どき、榛名や赤城は走り屋対策済なので、多分「ロケ」は出来ません。路面はボコンボコンしています。
そう、先生が「スッポンポンの俺を見せちゃう☆」みたいなハイテンションが求められていたのは、モータースポーツについてであって(略)。コアでオタクでもいいよね!と思わせてほしいジャンルは車など。先生はもう、バイクもクルマも書きたくないと思うけど
本当に本当に先生が描きたかったのは、なつきやセーラーエースのような、ギャルのケツだったんだよなあと。そっちでブレイクしていれば、先生の「好み」と「認知」は一致していたでしょう。
再開しないセーラーエースと、終わらないMFを思うとそうなのかなと思います。 |
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