 ・今、ざっと康成の小説がいくつか手元にあるんですが。有名過ぎる「眠れる美女」はあらすじだけで怖くて、選びませんでした。
大体、日文ってエロ過ぎるんだよなあと。万葉集の昔から、源氏、古典、戦前戦中戦後、ほぼエロい。平家物語とか、大丈夫なのと思うくらいエロい。
よっぽど、あれこれ規制するより豪華にエロいのが日文じゃないかなと。(※エロいと言うか、林芙美子じゃないけれど、「女中さんや同居の姪などは、一家の主に強姦されて当たり前 日本家屋には鍵もないし」的な暴力装置
日本は性暴力による訴訟が少ないのではなく、「暴行された被害者が全面的に立証しなければならず、警察から何度となく「通勤中にスカートをめくられた」など「確認」され、男の裁判官には「女は嘘つき」「女は冷たい」等まともにあつかってもらえず、ただただ傷つくだけ」だからほとんど闇に葬られている のだそう
日文はそういう、「日の当たらない」日本の世界なんじゃないかな)
・文豪文豪したくて、康成の小説をいくつか図書館で借りてきました。同時に、「よく分かる康成」みたいな本も数冊借りました。
昔は、日文の参考書的なものは読みませんでした。仮に漱石を読めば、小説の後に「解説」があり、小説一作につき数ページで解説してくれるので、それで十分だと思っていました。
今も、基本的にはそれでいいと思います。ただ、読んでも「どうして伊香保はホトトギスで、当時は肺結核が治らなかったのか?」など、特化した情報は巻末には足らないかもしれません。
参考書も読もうかな・・・と思ったのは気分の変化ですが。仮に参考書でも、例えば小宮の書いた「夏目漱石」は、ああいうものだと思って読まないと理解しにくそうです。流石神主。
こういう本は開かないと分からないと言うか
「漱石ってとってもキュート☆」とか書かれれば、ああまあねえとしか思わないだろうし。漱石の愛弟子達が、なんと遺族に言っても、「お父さんは素晴らしい人だった」と遺族が「思ってくれなかった」らしいのも、そうだろうなと思います。
康成も、「私の愛した康成」的な内容だと、書いた人のパッションが先に来るからちゃんと読めるかなあと思います。自分が日文を大学で専攻しなかったのは、この辺の線引きが分からないからだったかなと思い出します。
正解のない日文において、主観と客観を泳ぎ切る自信はありませんでした。 |
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