 ・また、奥日光に行ってきます。行かないとヤバいレベルの依存かなと思うんですが、行かないとヤバいので行きます。
・父母のいない国、それが康成の世界ですが。
父子関係、母子関係、ないし兄弟関係や夫婦、家族関係で世界が出来ているなら。康成にはそのすべてがありません。本当にないんです。
漱石だって孤児みたいなもんじゃんと思いますが、漱石にはおばあさんのように見えた実母や、親しくしてくれた女中、いじめてきた義父母など、家族があると言えばありました。
ただし、成人後の家族には鬼みたいなものだったでしょう、漱石。在宅勤務だし、来客は多いし、辛そう。
(クソ多い客人に対応していたら、愚妻だのなんだの言われた夫人。・・・いや、何人も何人も妊娠・出産している中、数えきれないほどの来客って地獄か)
康成 ふと彼がエヴァのミサトに見えた。
・大人びている大人だが、未成年大好き。守ってあげたい感じの好きじゃなくて、「彼・彼女の気持ちとかどうもでいいから、切り花のように根こそぎ奪いたい」感じの好き。なんかこう、自分と他人の線引きがヘタクソな感じの「好き」。
康成は、全くの他人の初代さんを「愛した」訳じゃない。寂しそうな子供だった彼女を「独占する」「目の前で遊ばせる」事で、自分の寂しい過去を慰めるお人形ごっこがしたかっただけ
別に変なことじゃなく、子供はお人形遊びをして大きくなるもの。ただし、自分の周りにいる「人間」は「人形」ではなく、各個の意思があって動いているのだと思う時、お人形遊びがむなしくなって、やめるだけ。
(ミサトも、康成も社会人としてはずば抜けて有能で、社交的なのがキモ。異性関係もガッツリあって、自殺とか絶対しそうになく見えるくらいなトップエリート)
初代さんが、「貴方はあたしをいいようにしたいだけ」と言うのは当たっている。だって康成、初代さんが「こうしてほしい」というのは全く聞かず、自分があれしてやりたい、これしてやりたい、初代さんの「所有者」であるオバサン達には〜自分のお友達達とは〜、と気ままが過ぎる
ただの女 ただの人 そんなものはない
「関係性」でなりたっている。特に女性は。そんな複雑怪奇な「関係性」を嫌う・厭う康成に長編小説は書けない。長編を多く書いたクリスティを思った時、そこが違うと思った。
ハッピーエンドにこぎつけるのが得意なクリスティ。最後、破綻と狂気と、寂しさしかない康成に長編は似合わない。 |
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