 ・小説の家なき子を読んでいます。安達祐実のではなく、マロの書いた方のものです。姉妹作としてペリーヌ物語として知れている「家なき娘」の方は、昔簡易版で呼んだことがありました。意外とさわやかな読後感でした。
日本だとレミが女の子だったりと、「姉妹作」という印象が薄い気がしますが、いずれにせよ、安達祐実の方の悲惨なイメージが強くとも、結構ハッピーエンドなんだよなと。
昔、主に欧米の児童書を原作にしたアニメが沢山ありました。なんで金髪碧眼のミヤギみたいな子多いん?と思いましたが、多分日本人の子女が主人子だと安達祐実の方になるんだろうなと。「たくましさ」を書きたいのか、「執拗なイジメ」をエンタメにしたいのか、の感じで。
日本人の子女で「一代記」的なのやると、おしんになりそう。(だってそういう湿気多いのが日本人好みだから・・・かな)
・あみちゃんというか、漫画家の柴田亜美先生。
独特のギャグセンスと、意外なシリアス描写で一世を風靡しました。自分の多感な頃、根暗で友達のいない・祇園仮面アラシヤマと言うキャラが人気を博し、竹淵のあだ名アラシヤマだったのは忘れようがありません。
「顔だけ」のミヤギとかがあだ名になった子っているんでしょうか。(ともあれ、ガンマ団のシンタロー世代のナンバーツーとも言われる強さを誇るキャラなんだよな、アラシヤマ キャラは好き)
で
もうあみちゃんみたいなマンガはないんだよなと
パプワの1992年頃、社畜と言う言葉は今ほど普及せず、(言葉自体は1990年に登場したそう)ワークライフバランスと言う言葉もなく、企業戦士、モーレツ社員が普通だった頃の世界観です。
今だってそんな面はありますが、ブラックだのホワイトだの言われるのはずっと先の事で、基本的に「全部ブラック」だった頃が主な舞台です。
あみちゃんは事実上生き証人になったんだよなと。秀樹みたいな暮らしをしている人は多くても、「それがどういうことか」「法的解決は?」とか模索される時代で、パワハラセクハラ何ハラという言葉に市民権があります。
マジックやイリエみたいな人、今の世の中じゃいない・いられない・・・(いやいる) |
|