 ・東照宮に行くたびに、何故家光なんだろうと思っていました。秀忠じゃん、家光の父はと思うのです。財政が傾くほど、日光に金かけたそう(他、日光沿線の庶民の負担もものすごかったらしい)
親孝行と言えば父子関係ですが、家光の場合、孝行?するのが家康なんだよなと。家康が長生きで、ほとんど秀忠と並行して生きていたようなところがあるので、可能だったんですが。以下雑感です。
まあ、秀忠・お江・国千代のラブラブぶりを思えば、致し方ないだろうなと。結果、家康が言ったように国千代、忠長の「ひどさ」は群馬で亡くなるまで続きましたが。
忠長、グンマの高崎で亡くなったそうです。
お江様の人生を思えば、長男?なにそれ美味しいのでしょう。自身に男兄弟は目立って生き残っていませんし。実力勝負の戦国時代を知る女ならば、儒教的なんちゃらなんて全く意になかったのでは 柴田勝家の養女でもあったのだから、なんかもう
家光のいた頃は、まだ斎藤道三達をリアルに知る人もいたわけで(家光の乳母の春日局が、道三に縁がなくもない)
戦国時代だから、秩序とかなかったのか (でも意外と細かい秩序?はあるので分からん)
家康の頃から、平和のための秩序を作るために、途方もない何かが行われたのか それによって皆が幸せになったのか?とかは、歴史の語るところじゃないでしょう 歴史学はそういう学問?ではない
なんとなく、歴史は今が一番新しい、今日は歴史の最前線だと思うと、生きている張り合いがある気がします。 |
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