 ・歴史ある〜とはよく言われる話ですが
・江戸時代、将軍で正室の子供だったのは
家康(流石人質に出されていた子) 家光(言わずもがな、お市様の娘お江) 慶喜(母親は皇女)
だけだそう。子供が30人とか生まれてもごくわずかしか成人しないのを思うと、仕方ないかもしれない
ちなみに日本人に、親孝行とかの概念が出来たのは、この辺からじゃないかなと思う。家光は、実の両親から「愛されなかった」らしい。
実母がお江様なのに、全然立場がない家光
もっともお江様や秀忠には戦国時代の感覚がまだあって、「後継ぎは自由に決める」センスだったのかもしれない。
家光が頼れるのは家康だけ、なんか変な感じだがそうなのだ。故に、家光の墓まで日光にある。家康が日光を重要視したのは本当だけど、かなりヘビーに重要視したのは家光。親孝行と言うより、祖父さん好きとも言えるけど
・・・・長男優先って、とんでもなく実は歴史の浅いことじゃないかなと思う 歴史ある〜なんかじゃない そうでないなら、道長はどうやって勝ち残ったと言うのさ(追い落とした中宮定子達は、道長には兄の子供達、つまり甥一族となる 道長自身は兼家の五男)
源氏の頃は、「母親の身分が低いと出世しない」ものだった。源氏の出世は異例も異例だったはず。源氏の出世の決め手は、弟にあたる冷泉帝からのひいきが決定打だと思う(冷泉帝の妻の一人は源氏の養女の秋好中宮)葵上の方の姻戚も大きいけど
自分は歴史ダイスキ☆でもあったと思うけど、今目の前にあるもの全てが全てじゃない、と思う材料を見つけると嬉しいかもしれない
こうこうこうでトーゼンでしょ?ってのは、よくあるけど、今ここでこうだからこうなんだな、と歴史の変遷的なものを思うと・・・出来るはずないだろーが(長男尊重!とかアホな男が増産されただけじゃん) |
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