漱石の「それから」を読み終えました。三千代が病から回復しかたどうかも、代助が狂気を乗り越えたのかどうかも、この小説からは分かりません。思うのは、三千代の夫である平岡には災難続きな話だなという事です。
在学中に平岡、菅沼、代助が友人になる→ 卒業とほぼ同時に代助の斡旋で平岡と三千代が結婚→ 平岡、職場で部下の失敗により辞職→ (この辺で子供の死や三千代の発病等が重なる) 平岡夫妻、東京で代助に再会→ (平岡は単純に友達として再会したのであって、代助から借金等はしていない。代助をあてにして上京したのではない。お坊ちゃんの代助に頼るような平岡ではない。) 代助と三千代の背徳行為→ 三千代の病状の悪化・・・と平岡の受難は続きます。
代助のわがままに、振り回され通しの人生です。代助が三千代にこれといってアプローチしない代りに、平岡が結婚、子供の死、義父の窮乏、彼女の病気等の辛さをかぶっています。代助はそういう辛さを引き受ける覚悟がなくて、三千代にアプローチしなかったのでしょう。
平岡は三千代に対して、十分誠実だったと思います。わがままで振り回すだけの代助と違って、夫らしかったと思います。現実と闘っている平岡は、代助から夫婦生活のなんたるかを偉そうに説かれて、不愉快だったでしょう。
三千代も、平岡の苦労を知っているから我慢もしたし、出勤前の平岡の前で、罪悪感から卒倒したのでしょう。
ミラクルトレインの舞台版の情報が更新されていました。余裕があれば定期券を買って通いたいくらいですが、行かれる方は楽しんで来て下さい。
・・・新宿ブラザーズが好き過ぎて、どうかしそうです。ここしばらく何回も上京しながら、両国での都営交通局の企画展にも行かないで、ひたすら新宿駅前を歩いていたことからも、その傾倒ぶりがうかがえます。
いつもの事ながら何かに傾倒すると、自分の許容量ギリギリまで傾倒します。「竹淵さんが○○が好きなのは分かったけど、なんでそこまで?なんでそんなことするの?わたしも○○は好きだけど、竹淵さんの考えている事が分かんないよ。」と過去何回、何人から言われたのか分かりません。
私自身にも、とめられないんです。許容量を超えて傾倒した分は勿論ムリが生じていて、自分の足元に見えない血だまりが出来ているのを感じるくらいです。「それから」を読むたびに、代助の狂う様が人事に感じられません(実際、代助は電車によく乗る。「このまま電車に乗って行ける所まで行こう」と、全てを失った代助が思う所でこの小説は終わる。)
平成23年9月30日 竹淵 拝 madeingermany193☆yahoo.co.jp ☆→@ |
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