大江戸線について考えていました。豊島園先輩達、光が丘〜練馬開通が1991年。凛ちゃん、吹、リーダーが1997年。一や零二達が2000年、汐留が2002年と、全線開通まで11年かかっています。計画の発表から考えると、さらに長いです。
こういう事でしょうか。
1991年 バブル期全盛に、豊島園先輩達の開業 1997年 バブル崩壊・大手倒産が相次ぐなか、凛ちゃん、吹、リーダーの開業 2000年 都心回帰、ウオーターフロントへの注目が集まり、情報化など新しい経済の形が見えだした頃、六本木達開業 2002年 すっかりバブル前後のドタバタも過ぎ去り、お台場方面が新しい副都心として定着した頃、汐留誕生
計画、着工、開業と年数もかかっていると思いますので、確かなことは分かりませんが。バブル経済を味わった豊島園先輩と、再開発期が来ていた六本木達以降の駅達はともかく、吹の頃は大変だったんじゃないかなと思います。
2000年春には代々木も生まれています。JRとの乗り継ぎを考えたからだそうですが、新宿西口でなくて代々木だったのは、用地の関係からでしょう。一の所は、最後まで難産だったでしょうから。
(これまた吹が、無事弟達が生まれてくれるんだろうかと、一人で気をもんでいそう。駅として踏んだ場数が違う慎兄ちゃんや、ミラトレ試験走行その他で忙しい凛ちゃんは、「本当に生まれてくれるのかな」とか吹に言われても、聞き流しそうな気がして。「吹が生むわけじゃないだろ」とか言われて黙らされていそう。)
はっきりした事は分かりませんが、バブル崩壊後の方が用地の関係はスムーズだったのではないでしょうか。大江戸線が環状部分も作る事になったのは、まだ手付かずだった汐留や月島方面の開発を見越しての事だと思うので。
こんな話、凛ちゃんが弟達に話すことはなさそうだし、吹が一と零二に言っても、若い彼等に実感はないでしょう。それとも、「僕と零二が生まれるのを、吹はずっと待っていてくれたんだね」とか喜んでくれるでしょうか。
くどいんですが、新宿中央公園へ高層ビル群から吹き下ろされる風を浴びながら、吹は3年、弟達の誕生を待っていたんじゃないかと思うのです。
平成23年10月6日 竹淵 拝 madeingermany193☆yahoo.co.jp ☆→@ |
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