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...... 2011年10月14日 の日記 ......
■ 永井さん   [ NO. 2011101401-1 ]
「荷風の生涯」と言った本を読みました。遺品とか、過ごしていた土地の写真とか多くて、見応えがありました。帽子で顔を隠している写真が残っていますが、茶目っ気と言いますか、一人暮らしを満喫している感じが見えて、好きです。雑司ヶ谷の墓地にも、今夏行って来ました。

(当時の踊り子達に囲まれている写真はすごかった。ああやって、女性達とお汁粉食べて過ごしていたのかと思うと感無量。しかし基本一人暮らしだったのに、残っている情報量は当人の日記以下、すごい分量になる。)


確か初めて荷風を読んだのは「あめりか物語」「ふらんす物語」でした。受験生だったので、有名な作品なら読んで置こうかなくらいの気持ちだったと思うのですが、あれは癖になります。

よく、平気で公立の図書館にあるよなと思う箇所だらけですが、逸品には違いありません。(「あめりか物語」の冒頭はあれでよかったのかと今でも思う。でもああでないと荷風ではないかも。)

堂々と読める、癖のある作品という所でしょうか。勲章をもらうくらいの作家なので、国が認めた実力とも言えます。でも本人がそうして欲しいと望んでいたように、気軽な気持ちで読んでもいいと思います。

何より、文章がきれいです。勲章をもらうような作家というといかめしいイメージですが、そんなこともなく柔和で優雅で、濃いのに薄口です。書いている事は特に高尚とかいうものでもなかったと思います。読み口は軽いのに、しっかりとした体系的な学識が見え隠れしています。




以下は、自分の嗜好に基づいています。

荷風が遊びに行ったり食事したり、「取材」に行ったりしたのは、主に浅草や銀座です。当時随一の繁華街です。住んでいたのは麻布など。実家は大久保です。西大久保にも親戚がいました。

あれだけ遊びまくった人なのに、「十二社」(今で言う新宿中央公園のあたり)には行かなかったんだなと。一応昭和あたりまで、ここは歓楽地で通っていたので、よく読めば荷風の作品にも出てこないかなと思ったのですが、まだ見つけていません。

(まさか実家に近いから外したとか?神楽坂等に比べ、影が薄い十二社だが、住民の方は都営の駅(※E29、吹の所)にその名が付くことに反対したらしい。一体どういうウェイト・ニュアンスの場所なのか、しばらく調べているのだが詳しく分からない。置屋・待合・料亭がそろう三業地ではあったが、都内に三業地だった場所は沢山ある。)

平成23年10月14日 竹淵 拝
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