「曹植系〜」を読んだ後、曹丕について考えていました。(漠然とした考えですので「曹植系〜」とは必ずしも一致しておりません。)演義での彼に派手な出番は少なかった様に思いますが、魏の初代皇帝は彼です。世界史のテストで、三国時代の魏を建国したのは誰ですかという問題があった場合、曹操と書くとバツです。都は有名な許昌ではなく、洛陽です。
ウィキにも書いてありますが、彼の印象というと。 ■血生臭い後継者争いの勝者 ■詩文では曹植にかなわない ■兄弟にキツイ人 ■奥さんを死に追いやった ■事実上、400年続いた漢帝国を禅譲とは言え、滅ぼした男・・・
等、恐ろしい面の方が多いです。陳舜臣先生の「諸葛孔明」で、赤壁から逃げてくる曹操へ、そっと逃げ道を指示する姿が描かれていますが、その小説では、実父の曹操ですら曹丕を恐れていました。
そんな曹丕に対して、曹植は怖いもの知らずと言うか、曹丕の意図を分かっててお茶目が過ぎるのか、いわゆる詩人なのか。魏は皇族同士の交流が禁じられていて、寂しがった曹植が「親戚づきあいくらいしようよ」と、曹丕と曹叡にうったえています。
曹丕は、漢の乱世は皇族の規律が乱れたから起きたのであり、自分達は厳しくせねばという意識だったのでしょう。漢の歴史を知らない曹植ではないと思いますが、「兄ちゃん遊んでよ」と言わないばかりの曹植は、「詩聖」の名にふさわしい男だったのかもしれません。
曹丕は兄弟にキツイと書きましたが、政策上・立場上そうだというだけで、内面は違ったかもしれません。大概皇帝になると、自分の周りを親兄弟親族で固めたがるものですが、そうしなかった曹丕は、比較的珍しい人です。
知らないうちに曹操の後継者争いのまっただ中にいて、弟達を守る意味で、即位後は遠ざけたんじゃないかなと思いました。身内に頼らなくても、優秀な官僚がいれば政治は出来ると踏んだのかもしれませんが。
(曹丕が優秀な官僚達を使いこなして初めて成立する方向性であって、肉親に頼らなくても政治が出来るという自信がなければ、こんな政策はとらなかっただろう。恐ろしく冷静な人だ。)
以下はミラトレの話です。零二が自分は「辛党」だと言っていますが、文脈からすると「甘いものより辛いものが好き」という意味合いに聞こえます。「辛党」は「酒飲み」という意味なんですが。
メイン駅である両国ですら「七味好き、辛党」とあるので、ミラトレにおいて「酒飲み」という意味合いは薄いです。日本語としておかしい気がするのですが、ニュアンスでしょうか。「凛太郎は甘党」とも書かれますが、酒類もいける場合は厳密には「甘党」と呼ばないのでは。
平成23年11月28日 竹淵 拝 madeingermany193☆yahoo.co.jp ☆→@ |
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