「嫉妬の正体」という本を読みました。日本文学の教授が書いたエッセーです。蘊蓄も十分で、東海道新幹線の中で読みました。内容は秀吉と黒田官兵衛といったメジャーな「嫉妬」から、教授の幼年期の話など、バラエティーに富んでいました。
その中に、アレ?と思う文章がありました。嫉妬と羨望はどう違うか、というフランスの作家の説明が抜粋してあって、その説明に教授は納得出来ないそうです。教授は「嫉妬も羨望も同じだ」と言います。自分は、嫉妬と羨望ほど違う感情は無いんじゃないかと思います。
フランスの作家は「手の届かないものへの気持ちは羨望、もう少しで何とかなりそうでならない事への思いは嫉妬」と言っていました。紙一重の差であるから、生来嫉妬する事が少ないと自称する教授には、分からなかったのかもしれません。
このフランスの作家の言葉を読むために、この本を借りたんじゃないかと思いました。以下は、独断と偏見で満ちた内容です。ミラトレの新宿の駅達についでです。
■一は凛太郎を羨望するけど嫉妬しない。凛太郎の真似なら喜んでするし、「似ている」と言われれば嬉しい。 ■都庁前はたまに、仲のいい新宿ブラザーズ(あくまで3駅まとめて)に羨望の思いを抱くかもしれない。でも自身に兄弟駅はいないし、ましてリーダーたる自分が羨むなどあってはならないと、自己完結してそう。
■吹は、汐留に嫉妬しているかもしれない。今はなき清水橋より、シオサイトの方が副名称としては豪華だし、利用者数も汐留の方が多い。 ■吹は、都庁前に嫉妬しているかもしれない。ほとんど変わらない利用者数で同期の彼が、凛太郎に特別扱いされるなんて、いつかなんか言ってやりたい。 ■吹は、代々木に嫉妬も羨望もしない。明治神宮・代々木公園の集客力・広大さと、熊野神社・新宿中央公園の歴史と心地よさは別物だから。一が「代々木駅と西新宿五丁目駅は似ている」と言うが、そんなお茶目を言ってのける弟がいればこそ、上の2つの嫉妬を鞘の中に入れておける。
羨望は「羨望の的」という言葉があるように、嫉妬よりソフトな感情です。都庁前の例の様に「仲が良くていいなあ」程度の思いなら自己完結しやすいですし、攻撃的な方向にもならないでしょう。
逆に、嫉妬はひどく攻撃的な気持ちです。自分だってもう一頑張りすれば、名実共に特別感いっぱいの駅になるかもしれない、選んで欲しい人に選んでもらえるかもしれない。足掻けばどうにかなる気がしてならない、という事ほど苦しいものもありません。
全ては妄想ですが。私が吹にひかれた理由の一つに、そういう辛さを、この駅になら分かってもらえるかもしれないと無意識に期待した事が挙げられます。
(華やかな新宿を体現している一と零二について、そう強く嫉妬しないのは「俺はお前達のお兄ちゃんだから」の一言に尽きる。身内ならではと言うか、愛し合える対象がいるって大事。新宿西口のデパート群も、北新宿の美味い物屋も、熊野神社と公園も、3駅で仲良く共有している感じ。「今日は僕の所の新しいお店でお昼食べようよ」とか「明日は鬼王神社で豆まきがあるから皆で行こうぜ」とか年中してそう。)
平成24年1月13日 竹淵 拝 madeingermany193☆yahoo.co.jp ☆→@ |
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