「八日目の蝉」に対してのアマゾンのレビューを読んでみました。「愛情とは闇雲に可愛がるだけじゃない、まして母性は」という意見があって、それも納得しました。育児経験がある母はテレビドラマに感動していたので、この作品はエンターティメントとしては成功したと思いますし、私は愛情や母性ついてあれこれ言える立場ではありません。
小説やドラマって。楽しんで見るか、「こんなの現実的じゃない」と思ってしまうかで別物なんだなと思います。普段小説を読まないうちの母が夢中になっていたくらいですし、よい娯楽として読めば問題ないと思いました。
「マクロスF」を見ていました。この作品、ランカに感情移入する事を前提に作られいているのでしょうか。物語冒頭でオズマが「ランカを守りたい」と思うあたりはいいなと思いますし、オズマがアルトとランカを見守ろうと思うあたりも、アルトが段々変わっていくだろう所もいいと思います。
(オズマの優しさを、ランカはいつでもいくらでも引き出せる。あのくらいの年なら兄貴のプライバシー、特に女性関係を察して気を使うくらいはあっていいと思うが。キャシーは大人の女性としても、オズマの元恋人としてもランカに文句など言えないだろう。ミシェルですら、「そろそろお兄さんを自由にしてあげたら」とは言わない。嗚呼。)
オズマ、アルト、ブレラ、SMSの人達、政府、軍・・・と大勢の人がグローバルに「ランカを守りたい」と主張しているので、あえて自分までランカに感情移入しなくてもいいかなと思いました。描きたいのは健気で可愛いランカ少女の恋と成長なのかもしれませんが、常に崖っぷちのシェリルが見ていられません。
ランカなら「疲れた」「あたしっていうアイドルは上から作られた存在なんだよね」「片思いが辛い」と仮に弱気になってもオズマがいますが、シェリルは(略)。シェリルは、「謎の美人シンガー」くらいの曖昧な描き方だったら、こんなに見ていて辛くならなかったでしょうか。
ミラクル☆トレインの新宿西口一について。公式で「不安定なところがある」と言われていますが、ブラザーズの目線でお互いを見たら、一番目盛りがぶっ飛んでいそうなのは吹かなと勝手に思っています。時間の経過による変化と、慎太郎・凛太郎の存在、可愛い弟達、それと理性で制御しているだけで。
吹の内面の波の動きは、実に荒いと思っております。「爽やか」と一応公式で言われていますが、弟達は何と思っているのか。「大抵のチンピラは黙って逃げていくよね(一)」「理屈じゃないよな、吹は(零二)」
平成24年3月8日 竹淵 拝 madeingermany193y☆ahoo.co.jp ☆→@ |
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