もしテレビアニメのミラトレが、「浅草線へようこそ」だったら。
■乗り入れ会社・車両が多種多様なので、真っ向から描けば、アニメとして描写するのが大変。大江戸線なら他の車両が来ない上に、駅も他の駅と離れている事が多い。
(でも例えば大江戸線六本木駅と、日比谷線六本木駅は別人なのか、兼ねているのか未だに不明。・・・零二は、副都心線を兼ねてはいないと思うんだ。副都心線東新宿駅の印象は、何故か都営の零二より、行政っぽいにおいがする。「ツツジ」って。)
■新駅の構想、空港へのアクセス向上、スカイツリー開業などで、話題が多すぎて13話にまとまらない。 ■「浅草」というネームバリューが大きいので、全編下町風の人情話になっていそう。面白そう。 ■浅草線は都営の古株路線。古今の話題は十分ある。
■大江戸線は38駅。まともに数えるとプリキュアや戦隊ものより、はるかに多い。比較的コンパクトで、駅同士の印象が似通っている浅草線の方が、もしかしたら作品のイメージが、視聴者に伝わりやすかったかも。
東野圭吾の「魔球」を読みました。読みながら何となく、若い時の文章だなという印象がありました。実際若い頃の作品なんですが、他の作品で、時事をやや強引に取り込んでいる時の書き方よりは、しっくり来ました。
東野作品は、時事と時代の雰囲気を飲み込んでから読まないと、納得できない時が結構あります。夏目漱石の作品でも、時代の空気をピリッと感じさせる事があるので、東野圭吾だけの特徴ではないと思いますが。
「魔球」の武志の強引さが、よく分ります。努力家、しかも着々と積み重ねてきた人程、周りが見えなくなるし、何かとんでもない事をしてしまう事があるのかもしれません。武志の事を北岡は本気で心配していたんだと思うんです。武志が、北岡の優しさに自我をゆだねらる様な状態じゃなかった、という所でしょうか。北岡はいい奴だったと思います。
勇樹が兄の腕を切ってました。結構なトラウマになると思うんですが、どうでしょう。東野圭吾作品にはよくそういう描写があります。普通の少年である勇樹には、相当荷が重かったのでは。親しい人の体って、たとえ亡くなっていたとしても、そう簡単に傷つけられるもんじゃないと思うんですが。親しい人でなくても、生死関わらず、人の体ってそんなに痛めつけていいもんじゃないと思うんです。
「白夜行」「幻夜」他、いろんな作品で、身体を傷つける描写がありますが、東野圭吾の作品には、こと、そういう描写が多い気がします。迫力と説得力は増すでしょうけれど、読後感に影響します。
「魔球」は他の作品よりは、女性が被害にあっていないかなという読みやすさがありました。他の作品なら手塚女史は、まあもっとひどい目にあっていそうです。ですが明代と武志の日々を思うと、「ああ、東野作品の男なら、こういうことしそう」と思いました。比較的最近の作品でも、女性を酷薄に扱う男ばかり出てきます。「魔球」は、まだソフトだったなと思いました。
平成24年3月30日 竹淵 拝 madeingermany193☆yahoo.co.jp ☆→@ |
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