どうにかして、今年は都心の桜を見たいと画策しています。県内の桜も綺麗な所が多いですし、北関東の桜もなかなかです。土地も建造物も大いに余っているような県なので、今年の桜もさぞ自由に咲き誇る事でしょう。隣の市の公園も綺麗でして、屋台などが夜もあります。
なんで東京は新宿の桜にこだわるかと言いますと。先日「桜はあまり書かない」と書いた通り、自分は桜の魔力に完敗している人間です。どこかで桜が咲いたと聞けば、見に行けない様な土地でも何と無しに嬉しくなります。
過去、桜の木の下で起きた事は、大体覚えています。大学時代、サークルで「お花見をしよう」と声をかけられて参加したら、「お花見=酒盛り」だったのに驚いたこととか。運動場の桜は満開だったんですが、缶チューハイと肉料理が次々に出てきて、目を回したものです。
あとは、地味に新学期ならではの葛藤その他とか、忘れればいいものを結構覚えています。小中学生時代の春の思い出なんて、「校庭の桜が綺麗だった」だけで十分なのに。
他、大人になっても桜が咲くと何と無しに普段と違う事をしてしまい、痛い目にあう事があります。もし、同じ「季節感のあるイベント」であっても「ひな祭り」とかは手間のかかるイベントなので尻込みしますが、「花見」は手軽なイベントなので、毎年桜の魔力に負けます。
満開の桜に特別な何かを期待しては、よく傷つきます。学校や市役所、公園など、公共の施設に多く植えられるので、余計に、花の下なら何か特別な事ができるような気になってしまいます。痛い思いするのは自分なのに。
新宿の桜を見たくらいで、自分が変われるかもしれないなんて思いません。ただ、花の下で傷つく事が多い自分なので、もし同じく傷つくにせよ、新宿の桜の下でならいいと思いました。
(でも多分、新宿に出かけて傷つくという事はない気がする。メンタル面のショックって、与えられた対象によって、例え似ていても異なるから。一人で花の下を歩いても、「まだ延々悩まねばならないのか。来年この花を見たら、また思い出して苦しむな。」と思うか、「熊野神社の境内の花の下で悩むのなら、例え辛くても一人ではない」と思えるのかで別物になる。)
近所の桜も大好きなのですが、嫌な思い出もギッシリ詰め込んでしまった花なので、正直もう見たくありません。
それと、初めて新宿に行ったのが初夏だったので初夏、盛夏、初秋、初冬、晩冬・・・と大体行った今、春の新宿を訪れると、ほぼオールシーズンの新宿を味わった事になるので、行きたいなと思います。初めて西新宿五丁目駅に行った日、とても暑かったのをよく覚えています。
平成24年4月13日 竹淵 拝 madeingermany193yahoo.co.jp ☆→@ |
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