辛い事があったので、退勤後に近所の駅に行って、泣いてきました。帰省時や、出先で嫌な事があった時とか、よく駅や車内で泣いたものですが、落ち着くのかもしれません。魅力的なお店や小綺麗な飲食店だと、高いものを買ったり、カップルで行ったりしないと相手にされない気がしますが、鉄道は乗車券を買うだけで、平等に扱ってくれるので好きなのでしょう。(グリーン車ってなんですか)
触れられるだけで心から血が流れそうな時、物言わぬ駅舎と車両に身を預けるのが、自分のここ10年くらいの習慣の1つです。何気ない発着のアナウンスが、「気をつけていってらっしゃい。」と語りかけてくれる様に感じた事も多いです。(利用者の少ない路線だから出来るのかもしれないけど。満席の東海道新幹線車内でも2〜3時間泣き続けた事があった。)
連日、新宿ブラザーズについて書いてますが、東アジアで最もビッグな「ブラザーズ」は三国志の桃園三兄弟なんだろうなと思います。三国志は3世紀くらいのお話なのですが、未だにリアリティが保たれているのが不思議です。
(西洋に「兄弟」の感覚は余りないらしい。東アジアでも兄弟の跡目争いは頻繁に起きるけど、上下関係を認めた上で、親しくする習慣は東アジアっぽいと思う。
昔の西洋だと、長子相続の概念が薄かった気がした。というか婚姻の形態が、西洋だと基本的に一夫一妻制を重んじる気がする。故に小家族傾向。昔の東アジアの偉い人の様に子沢山なイメージがない。東洋だと20歳近く年の離れた兄貴とか普通にいるイメージがある。生まれた子供達は、自然に「兄弟」関係を学ぶのかもしれない。)
自分は鉄好きでもありますが、三国志オタクでもあるので時々思い出して楽しみます。魏呉蜀大体行けますが、蜀と呉が好きです。諸葛瑾お兄様と孔明が好き。
関羽は同僚に厳しく出過ぎて死に至り、張飛は部下(兵卒)にきつく当たり過ぎて逆に殺害されています。脚色しなくても、それぞれの特徴が恐ろしいくらい分る逸話は数多いです。
張飛について。彼は部下に辛く当たるのと並んでまずい事に、厳罰を加えた部下を身近に置いておいたそうです。部下が少なかったからというわけではなく、陳舜臣先生の小説ですと、「自分の側に置いておく事で、部下を可愛がっているつもり」だそうです。
命運をかけた軍事行動中とはいえ、その部下も劉備や張飛に仕方なくついているだけだろうに。小さい事で罰と称して殺されかけた部下が、張飛の側にいたらどうなるか。彼を殺して、戦線離脱するんです。逃げていった部下は、張飛がいかに蜀にとって重要な人物であるのかは分っていたかもしれませんが、まあそうなるんだろうなと。
私が退勤後に駅舎で泣きべそをかいていた事と、三国志のお話を思い出した事に何か関係があるのかと言えば、あるかもしれません。辛い時に、お馴染みのお話を思い出して自分を癒すくらいの自由は、私にもあると思います。
桃園の三兄弟のお話を思い出したのも、ただ懐かしいからでしょう。駅擬人化ミラトレにも三兄弟がいますし。関羽の最期、そして張飛の余りに肉薄な最期を思い出したのも、最早体の一部になった「三国志」への懐かしさ故です。
平成24年5月19日 竹淵 拝 madeingermany193☆yahoo.co.jp ☆→@ |
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