鉄の人でも、鉄のどこがいいかというと人それぞれだと思います。自分はマシンの事はよく分らないので、ひたすら利用する事で鉄になった気分でいます。そんな自分でも、「銀座線の新車両すごい」とか「新宿駅って大きい」とか思えるので、知識を誰かにアピールする意図さえなければ、敷居はそんなに高くないジャンルだと思います。
触れるだけで楽しい。それは同人活動も同様であって欲しいです。趣味なので「楽しい」事がモットーになるんでしょうが、一応即売会などにはサークル参加してますので、色々気が気じゃありません。
(そんな方面のつまずきで、駅前の電話ボックスで滂沱する事もしばしば。「趣味」の範囲での活動でのつまづきなら、泣くこともないんでしょうが。「趣味じゃない」事へのストレスや不安、苦しみをつい「趣味」で発散しようとした場合は、つまずいた対象がたかが「趣味」でも、「趣味」外の不安が、とめどもなく暴発するので不思議☆
自分はそういう脳構造らしいです。)
悩んで辛くなって、「僕JRの駅になるから放って置いて」と言い出す新宿西口一が描きたいです。慎兄ちゃんに「それくらいで自分の持ち場を投げ出す様ではJRなんてムリだ、帰れ」と説教されて泣いている所に、吹と零二が駆けつける話。凛ちゃんには知らせない。都庁さんがリーダーとして混ざってきたら収拾がつかないから。
一の悩みが「僕が大江戸線の駅として頑張っても、兄弟で協力してエスコートしても、吹が僕のこと見てくれないのなら、しようがない」という事なら。吹が心配して一のために駆けつけてくれれば、悩みも解決されるのではと。なんとも自分専用の原稿です。
(でも一の特徴の1つ、不安定さって親近感がわいてならないんだ。何々でなければしようがないっていう思考は非常に自分を傷つけやすいけど、世の中そんなふうに追いつめられる事のなんと膨大なことか。)
そういう原稿作成にばっかりいそしんでいるから、いざ即売会って時に青くなるんだって☆
先日に引き続き、三国志のことを書きます。圧倒的に強大な曹操の存在がある以上、劉備と孫権は協力しないといけなかったんです。孔明や魯粛達、現実的な人達は「手を取り合う」しかないのがよく分っていました。
関羽・張飛の行動により現実路線が乱されて、劉備も死に至ったのは、何故か納得が出来る話です。劉備も関羽も張飛も現実的に政治を押し進めるタイプでも階級の人間でもありませんから。戦いたい相手と戦い、従いたい相手に従うのが、彼等だったのかもしれません。
ある女性の作家が病床の劉備に、「わたしは皇帝なんかになりたくなかった」と言わせています。劉備は土地より勢力より、大事な弟達と一緒に食べていければそれでよかった人だったのかもしれません。強引にでも劉備に「皇位」についてもらい、官僚として働きたい孔明達は、劉備には鬼のようなもんです。
政治より、軍事より、弟達の存在が大きかった劉備って、なんか好きです。
平成24年5月20日 竹淵 拝 madeingermany193☆yahoo.co.jp ☆→@ |
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