先日に続き、ミラトレの新宿ブラザーズ、零二と一が喧嘩したらどうなるだろうと考えていました。男の子同士なので、手が出てもおかしくないんですが、恐らくこの子達は手を上げられた事はないでしょうし、淑女の目を意識した言動を生まれた時から教え込まれているので、案外、軟弱な所もあるかもしれません。
一なんて、怒っても言葉と表情だけかなあと思います。零二も、怒りを表現する態度や言葉はそんなに持っていないと思います。(割と感情を露わにしやすいお国柄の人達と知り合いっぽいんだけど、零二自身は和の国の駅だと思う。)
そうは言ってもお互いには遠慮の少ない二人なので、絶対凛ちゃんには見せないような見苦しい応酬を重ねたとして。吹は威圧的でもなく、見逃す訳でもなく、同じレベルの怒りを示すのでもなく、零二と一を我に返らせる事が、出来ると思います。無償の愛だけで零二と一がいい子に成長したとは思っていないので、吹なりの育て方があったんだろうなと。
男性に限らないとは思うんですが。威圧的で暴力とも言えるような言動で目下を従わせ、後で少しだけ誉めたり可愛がったりするのを、「自分はアメとムチを使い分けられる男」とか自認する人がいます。
自認し、常用するのは自由ですが(アメとムチの対象者からみれば地獄も同然なんだけど)、少なくとも、本当にアメとムチを操れる男は、貴方のような男じゃないよねとは思います。
自分はヘタリア以外でもドイツ好きなので、アメとムチについて考えざるを得ない時は、ビスマルクの政治を思い出します。自由主義や社会主義への弾圧と同時に、労働者への社会保障を充実させるという、画期的な政治です。同時代のイギリスだと労働者運動が盛んなのですが、ドイツらしい上からの大技を見せた瞬間です。
当たり前ですが、「弾圧」と「社会保障」を同じ相手には行いません。反発必至の「弾圧」を未然に防ぐかのように、アメとしての「社会保障」があるのですから。(※第二次世界大戦時もドイツは対外的には強圧的だったが、自国民には相当な配慮があったらしい。攻撃対象の相手と、仲間として扱う相手を、重複させないのがドイツ流。)
なので。現代社会の男が身近な対象に対して、怒ったりおだてたりして言うことを聞かそうというのは、その男性が「俺のアメとムチは有効」と仮に思っているのなら、大きな誤りだと思います。
そういう人には、二回戦争に勝って、帝国一個まとめられる様な男でないなら、簡単にアメとムチを振るうなと言いたいです。同時に2つ与えられても、ムチの記憶しか対象には残りません。最後のプロイセン宰相に、正しいムチの振るい方を学ぶといいと思います。
平成24年6月20日 竹淵 拝 madeingermany193☆yahoo.co.jp ☆→@ |
|