陳舜臣先生の「諸葛孔明」を読んでいます。何回か読んでいるので暗唱できそうです。天才軍師でない、政治家としての孔明を読める小説なんて、あんまりないんじゃないかと思います。この本を読んでいない時も「彼等」に対し、いつも一緒にいるかのように感じています。たまに本を開くと「改まって会うと緊張するね」とでも、「彼等」と言い合っている様な幻想を抱きます。
(この小説を読む時は、大体、人生に迷っている時。平時に読んでもいいのだけど、乱世に生きる「彼等」と会うには、読む方としても相応の緊張感と礼節がいると思う。)
孔明には8歳上の兄がいて、呉で孫権に仕えています。諸葛瑾と言います。「有名な弟を持つ地味な兄」と思われがちですが、諸葛家の本家は呉のお兄様の方です。詳しい話は他色々とありますが、以下はお兄様の話です。(自分の兄キャラフェチの発端の人。)お兄様はこの小説的にと言うか、史実でも以下のような人です。冷たいといえば余りに冷たい人なのかもしれません。黒執事のグレルではありませんが、冷たい人って好きです。
グレルがウィルを好きになったのは、あるひたむきに生きていた男の魂を迷わず回収したかららしいです。そんなウィルを「確固とした意志を持つ格好いい男」と言わず、あえて「冷たい男」という辺りがグレルなのかなと。
「意志の強い男」とウィルを認識してしまえば、ウィルの意志が自分に向かってこない限り、同僚と言えどもウィルとグレルはほとんど関係ないものになります。それでは寂しいです。「素敵よ!あたしあんたに惚れちゃった!」と思った相手と、若干無理にでも関わる手管が「冷たい男って好き、冷たくされると燃える」という発想なのかもしれません。そういうのを変態と世間では言いますが、変態にしか見えないものってあるわけで。(あくまで二次元での話ですが。)
閑話休題
■お兄様は孫策に仕えていない。呉で人気者だった孫策のもう一つの顔、軽率で単純、人の恨みを買いやすい点を避け、策の死を待つかに様にして呉に仕官している。権の代になってから士官した人はお兄様の他にも多いのだけど、堅・策・権の三代に仕えた事を自慢する人も多いのだから、お兄様は慎重派。策の近くにはいたのだけど、彼の個性に引いたんだろうか。
■お兄様は他国で重んじられた亮に対し、必要以上近づかない。二心有りと疑われても、嵐が去るまで待つ人。策なら疑ってお兄様を殺したかもしれない。「亮には必要以上近づかず、それでいて兄弟としての付き合いは切らない」。取捨選択にバランスがある。地味な様に見えて、「親孝行」を周囲に自然に示す周到さもあるお兄様らしい行動。
■南国呉における、北方出身の諸葛家の立場の不安定さを知っているお兄様。あんまり分っていない跡取り息子が暴走する事を見越して、「家が滅びる」と冷めたコメントをするお兄様。自分がギリギリの線でいつも渡ってきた自覚故のコメントだと思う。異郷で政争に巻き込まれた玄叔父様の最期を知っていることもあるだろうけど、親バカにはほど遠いお兄様。 |
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