madeingermany

[PREV] [NEXT]
...... 2012年10月13日 の日記 ......
■ 知人   [ NO. 2012101301-1 ]
知人に祝い事があったので、少ないながらお祝いを贈りました。しばらく彼女には会えないかもなあと思いつつ、幸せそうな顔を見ていると、今得た幸せを大事にしてほしいと思いました。同い年とは思えないくらいしっかりした彼女なので、今後もうまくいくだろうと思っています。

よく「私なんてだめだよ、そんなの出来ないって。」と会話のなかで言い合う時が誰でもあると思うんですが、そういう時、同じことをしようと思っても、自分だけ滑落する気がするのはなんでなんでしょう。相手の事情や背景は少ししかわからなくても、自分のことはクッキリいろいろ見えてしまうだけでしょうか。

(そもそも試験、就活、仕事、恋愛など誰かと「同じ」受け止め方ができるものなんてあんまりない気がする。いちいち周囲と同じ局面に立ったつもりになって、気持ちが右往左往する自分が甘いのか。先月福岡ドームに行った時、世代も嗜好も土地柄も何もかも違う場所に来た感じがして、屋台のものを黙々と食うしかなかった自分を忘れたか。博多港に近いのか、北九州らしい風景が見られてよかったし、JR九州を見物出来たからいいけど。つばめロゴ可愛い。)



彼女の幸せについて。彼女がその幸せを得た時に、自分はもっと嫉妬し、苦しむんじゃないかと思っていました。同じような幸福を自分も得たくて、あがいていたのは事実なんですが、無事上記のように滑落してみると、逆に嫉妬も苦しみも感じないです。

今の自分の平穏な気持ちが、彼女への友情故なのだと信じたいものです。ぶっちゃけ、個人でできそうなことを嫌って言うほど頑張ってみて、それでも得られなかった幸せって、もうこだわらないのかもしれません。

あと、得るまでに血を吐く様な嫌で残酷な思いをしてしまうような幸せって、もう幸せでもなんでもない気がします。彼女の今の幸せと、自分の葛藤は似て非なるというか、幸せの形って人によって違うのかもとか。(文章にすると、あの時すごく嫌だったなあ・・・という記憶しかないらしいことがよくわかる。)

自分も、彼女と同じ様にならないと、女性として人として欠けているのではと焦ってしまい、迷子になっていただけで、本当はその「幸せ」を望んでいなかったのかもしれません。だから、うっかり叶ってしまわないように、天の配材が私にもあったのかも。




そう思うと、誰かを羨んだりしなくていいので、気持ちが軽くなります。過大な「幸せ」は、受け取れない私に訪れないものでしょうし、素直に知人の幸福を願っていたいです。

スラムダンクに「越えられない試練はない」という言葉があった気がします。へ〜と思って読んでましたが、試練なんて、越えたいと思うだけの気持ちがないなら、挑んじゃダメかなと思いました。(全然関係ないけど、前野智昭さんがスラムダンク好きみたいで嬉しかった。トマトマンとか、ドラゴンボールとか、妙に視聴経歴が前野さんと重なるので、勝手に嬉しがっています。北関東出身ですし。)

...... トラックバックURL ......
  クリップボードにコピー

...... 返信を書く ......
[コメントを書く]
タイトル:
お名前:
メール:
URL:
文字色:
コメント :
削除用PW:
投稿キー: